JR横須賀線「鎌倉」駅東口より小町通を北へ進み、大通りに出る手前の左手"窟小路"に折れ進み、川喜多映画記念館を通り過ぎると、その先に岩窟茶屋がある。 更に茶屋先の路地(参道)に入っていくと突き当りに岩窟不動尊がある。
寺名: 岩窟不動尊
本尊: 不動明王
創建: 不明(1188年以前)
住所: 鎌倉市雪ノ下2-2
拝観: 無料
アクセス: JR横須賀線「鎌倉」駅から徒歩約15分。
【履歴】
・2019/01/09(水): 01/09(水)散策。
岩窟不動尊 |
不動明王石像 |
不動明王像 |
鎌倉時代に編纂された歴史書『吾妻鏡』の「文治四年(1188)正月大一日丁酉の条」に"窟堂"と書かれていることから、平安末期に岩窟(やぐら)の中のお堂に不動明王が祀られたようだ。
そのために"岩窟不動尊"の名で呼ばれている。近年、やぐらが崩落の危険があるため、不動明王像はやぐらから御堂に移され、元々岩窟の中にあった五輪塔や宝篋印塔、庚申塔も外に出され参道に並べられた。
窟堂(いわやどう)は不動明王を祀った岩屋のお堂である。
窟堂の歴史は古く、頼朝が鎌倉に入る前からあった。
窟堂に関する記録は吾妻鏡や相模風土記などの史書にも多く記述がある。
鎌倉は、南は海に面し、あとの三方を山で囲まれ出入りするのは大仕事だった。
船路を利用する以外は山を越さねばならず、「攻め難く守り易い」と言われたのもそのためである。
切り通しを作ったり山越えをしたり、その一つ源氏山から化粧坂(けわいざか)を経て鎌倉の中心地に至る重要な街道沿いの岸壁の岩屋の中にお不動様は祀られていた。
今と違い昔は街道が山の上を奔り、従って窟堂も山の上にあったようだ。
大地震で崩れたりしたため、山裾を迂回するようになった街道とともに、窟堂の位置も平地へ下りた。
不動明王像は、初めは岩屋の奥の壁面に彫られていた。この像は弘法大師の作とも云われている。
永い年月の間に不動明王像も風化し、後に石の像が作られ今日に至っている。
流石に此処に立ち寄る観光客は珍しいようだ。自分が立ち寄った際も通りを歩いている人はポツリポツリといたが、誰も立ち寄らなかった。