JR横須賀線「北鎌倉」駅から、駅の直ぐ横を線路に並行して奔る鎌倉街道を鎌倉方向へ向かう。
暫くして横須賀線踏切の手前右手にちょっとわかりにくい脇道がある。
大きな七福神の看板を目印に此の路に折れると登り坂の正面に浄智寺がある。
寺の左手の道は葛原ケ岡ハイキングコースになっており、葛原岡神社のある源氏山を経て銭新井弁天へと抜けられる。
弘安六年(1283)の創建で、当初は、山門、惣門、方丈、書院、法堂、僧堂、鐘楼などが整う大伽藍をもつ寺であった。
永享の乱(1438)以降、衰退の途をたどり、江戸後期には、惣門、仏殿、方丈、鐘楼と塔頭八院を有していたが、かなり荒廃していたようである。
明治初期の廃仏毀釈によって、浄智寺も大きな影響を受け、更には関東大震災で壊滅状態に陥った。
現在では、惣門、鐘楼門、仏殿、方丈、客殿などの小規模な伽藍となっている。鎌倉五山第四位の寺である。
寺名: 金宝山 浄智寺
宗派: 臨済宗円覚寺派
本尊: 三世仏(阿弥陀如来・釈迦如来・弥勒如来)
建立: 弘安六年(1283)
開山: 兀庵普寧、大休正念、南州宏海
札所: 鎌倉七福神/布袋尊
鎌倉三十三観音霊場 第31番、鎌倉地蔵尊霊場 第12番
鎌倉十三仏霊場 第6番(弥勒菩薩)、東国花の寺百ヶ寺 鎌倉9番
拝観: 200円
住所: 鎌倉市山ノ内1402
アクセス: JR「北鎌倉」駅から鎌倉街道を東へ歩いて10分。
【履歴】
・2017/06/17(土): 06/16(金)拝観。
惣門 |
扁額「寶所在近」 |
甘露ノ井 |
小さな池に架かる石の反橋の先に小さな浄智寺の惣門が見え、その前後は石段になっている。
惣門は高麗門の造りで、2本の本柱の上に切妻の屋根が乗り、本柱の後ろに控柱を立てて、両柱間に小さな切妻屋根を付けた形状の門である。
扁額には「寶所在近」とある。これは経文にある言葉で「立派なお坊さんになるために努力をしなさい。」という意味だという。
池の左奥に面して、周りに石を組み合わせ、蓋がされた鎌倉十井の一つ「甘露ノ井」がある。
"甘露ノ井"は鎌倉十井の1つとして名高い。
「甘露水」とは、「観音菩薩が所有している浄瓶(じょうへい)に湛えられている水で、どのような仙木でも生き返らせる事ができる」という水をいう。
惣門を入ると、自然石で作られた、擦り減った石段が山門へ続いている。
石段をのぼり切ると、正面に小さな山門があり、上層に梵鐘を吊るした鐘楼門となっている。
重層一間一戸の三門は、上層が鐘楼を兼ねている珍しい形式のもので、花頭窓をあしらった中国風の意匠が特徴である。
曇華殿 |
扁額「曇華殿」 |
観世音菩薩像 |
山門を入ると境内が広がり、右側に宝珠をのせた瓦葺の三間四面宝形造りの仏殿「曇華殿」がある。
本尊の三世仏を安置している。木造三世仏坐像(【神奈川県重要文化財】)は寺の本尊で、室町時代中期の作とのこと。
裳裾の表現などに、同時代の覚園寺薬師如来三尊像などとの共通性が見られる。
三世仏は、左から阿弥陀・釈迦・弥勒の各如来で、過去・現在・未来をあらわし、三世の苦すべてを救済してくれる仏様だそうだ。
何れも神奈川県重要文化財に指定されている。
曇華殿左側裏手に札所本尊:聖観世音菩薩が祀られている。
木造の観世音菩薩像で、南北朝時代の作といわれている。もとは山門の上に五百羅漢と一緒に祀られていたとのことだ。
仏殿の裏手にある茅葺屋根の書院は、寺院の建物というより古民家のような素朴な風情が感じられる建物だ。 玄関から中をのぞけるが、公開されていない。
ビャクシン |
コウヤマキ |
曇華殿前の庭に三本の「ビャクシン」の木があり鎌倉市指定天然記念物に指定され、青々とした針葉を茂らしている。
曇華殿の左手後方にも樹齢不明の「コウヤマキ」の大木が聳える。この木も鎌倉市指定天然記念物に指定されている。
横井戸 |
やぐら |
鎌倉七福神−布袋尊像 |
書院や庫裡を巡ってくると、狭くなった路の先が開けていて墓地があり、山際にはやぐらや横井戸がみられる。
横井戸は中を見られるようで入っていく人もいたが、閉所恐怖症ぎみなので遠慮した。今でも水は湧いているのかなー。
さらに順路を進むと崖にトンネルが彫られている。このトンネルを潜って布袋尊が奉られている処へ抜けられる。
トンネル先の谷戸、北側のやぐらに布袋尊の石像が安置されていた。この布袋尊像は鎌倉江の島七福神の一となっている。
浄智寺は参拝者が比較的少なかったので、仏殿前の庭のベンチに座って一休み...。
ここはこじんまりとしているが山門、古堂、仏像、古木、竹林、やぐらと一通りのものが揃っているので観光にはお勧めの寺だ。
鎌倉七福神−布袋尊像は、お腹を撫でると元気が貰えるとのことで、参拝者が次から次とお腹を撫でていた。