JR横須賀線「鎌倉」駅下車、西口より今小路を北方向へ徒歩10分のところにある。
落馬が原因で建久十年(1199)に亡くなると妻の北条政子が翌年の正治二年(1200)夫の菩提を弔うため葉上房栄西(明庵栄西)を開山に招いて創建した。
もともと現在の寿福寺のある付近は、奥州に向かう源頼義が勝利を祈願したといわれる源氏山を背にした、亀ヶ谷と呼ばれる源氏家父祖伝来の地であり、頼朝の父・源義朝の旧邸もこの地にあった。
治承四年(1180)初めて鎌倉入りした頼朝は、ここに館(幕府)を構えようとしたが、すでに岡崎義実が堂宇を建て義朝の菩提を弔っていたことや、土地が狭かったため、当初の計画を変更したといういきさつがある。
寿福寺は、総門から中門までの参道と裏山の墓地は公開されているが、中門から内側の境内は一般公開されていない。
鎌倉五山の第三位。鎌倉三十三観音第24番、鎌倉二十四地蔵第18番の札所である。
寺名: 亀谷山 寿福金剛禅寺
宗派: 臨済宗建長寺派
本尊: 宝冠釈迦如来像
創建: 正治二年(1200)
札所: 鎌倉三十三観音第24番、鎌倉二十四地蔵第18番
拝観: 無料
住所: 鎌倉市扇ヶ谷1-17-7
交通: JR横須賀線「鎌倉」駅下車、西口より徒歩10分
【履歴】
・2018/07/08(日): 07/04(水)参拝。
総門 |
扁額「亀谷山」 |
門前の石柱には寺号である「壽福金剛禅寺」が刻まれており、門には山号である「亀谷山」の額が掲げられている。
境内参道 |
中門 |
扁額「壽福金剛禅寺」 |
総門から中門に至るまっすぐのびた桂敷きという技法で作られた石畳の参道は整然とし、高い木々に囲まれ非常に美しい。
仏殿は寛文四年(1664)の再建である。
仏殿の中央にある高さ282cmの宝冠釈迦如来坐像は、鎌倉時代には珍しい脱活乾漆造という技法で作られた極めて貴重なもの。
他にも、宝冠釈迦如来坐像と組みになっているという木造の文殊菩薩像と普賢菩薩像や、鶴岡八幡宮から移されたという仁王像、源実朝像などが祀られている。
通常は非公開で、正月などの特別拝観時のみ入ることができる。
また、普賢菩薩像は鎌倉十三仏の一つに数えられている。
かつての寿福寺の梵鐘は、中国から伝来した「いぼなし鐘」と呼ばれたものだったという。
しかし、天正十八年(1590)豊臣秀吉の小田原攻めの際、後北条氏(小田原北条氏)により取り上げられ、鉄砲の弾に使われてしまったと伝えられている。
"いぼなし鐘"は、栄西が宋より持ち帰ったものとも伝えられている。
頼朝の墓(やぐら) |
頼朝の墓(五輪塔) |
政子の墓(やぐら) |
政子の墓(五輪塔) |
仏殿裏手墓地の北側崖に掘られたやぐらに北条政子、その隣に鎌倉幕府第三代将軍・源実朝の墓と言われている五輪塔がある。 実朝の五輪塔が置かれているやぐらは、牡丹唐草の模様が彩色されていたことから「唐草やぐら」や「えかきやぐら」と呼ばれている。
拝観に伺った際には自分以外に参拝する人は疎らだった。かっての大伽藍の面影は無く寂しいが静かに散策できた。