事事関心! 仏閣探訪:
[ 神奈川県鎌倉市/海蔵寺 ]
神奈川県鎌倉市/海蔵寺           2018/01/12(金)新規
あらまし

 JR横須賀線「鎌倉」駅西口を出て150m先の鎌倉市役所前の信号を右折し、昔は「今小路」と呼ばれていた道を道なりに進む。 途中、鎌倉五山第三位の寿福寺、その先の英勝寺前を過ぎ、JRの線路に並行して行くやがて道は左にカーブしてJRの線路と分かれる。 程なく左T字路で、左折源氏山公園・銭洗い弁財天の標識が有るが海蔵寺へは直進する。 ここから海蔵寺まではあと200mたらずである。
 海蔵寺は臨済宗建長寺派の古刹だ。 この寺は、建長五年(1253)に鎌倉幕府六代将軍宗尊親王の命により藤原仲能(道知禅師)が本願主となり七堂伽藍を再建した。 しかし元弘三年五月(1333)鎌倉滅亡の際の兵火によって全焼してしまう。
 その後、室町時代の応永元年(1394)に関東菅領足利氏満の命により山内上杉憲定が再建したのが海蔵禅寺である。 氏定は源翁禅師を開山に招いて菩提寺とした。その後、天正五年(1577)に建長寺に属して今日に至る。 寛政三年(1791)の境内図によると、主な建物の配置は現在の姿とほとんど変わらないと云う。

寺名: 扇谷山 海蔵寺
宗派: 臨済宗建長寺派
本尊: 薬師如来坐像
創建: 建長五年(1253)、応永元年(1394)再興
参観: 無料
住所: 鎌倉市扇が谷4-18-8
アクセス: JR横須賀線「鎌倉」駅西口より徒歩20分

【履歴】
・2018/01/12(金): 2013/01/25(金)探訪

山門 


山門

 四脚門。修理時に台輪(柱上に渡す水平材)から応仁二年(1468)の墨書が発見されたが、現在の門は大部分の材が江戸時代のものとなっている。


本堂 

本堂

禅宗風庭園(本堂裏手)

 本堂(龍護殿)は大正十二年(1923)の震災で倒壊したのち同十四年に再建されたもの。 十一面観音、開山の心昭空外坐像が安置されている。入口には「海蔵寺」の扁額が掲げられ、堂内は広々とした畳敷きの質素な空間になっている。
 本堂の裏側には非公開だが手入れの行き届いた庭園があり、隠れた紅葉スポットになっている。

薬師堂 

薬師堂

薬師堂(内部正面)

 薬師堂(仏殿)は安永五年(1776)浄智寺から移築したもので、薬師三尊像・十二神将像・伽藍神像などを安置している。 薬師堂の中央には、本尊の薬師如来坐像と両脇に、向かって右手に日光菩薩、左手に月光菩薩像が祀られている。 本尊は、"啼薬師"とも呼ばれ胸に扉が付いており、その中には、境内で見つかった仏様の頭部が納められているそうだ。 さらに、左右に、六体ずつ十二神将が配置されている。 左手には、1.8mほどの大きな位牌があり、それぞれ、応永三十年(1423)、永正十二年(1515)の古いもので、鎌倉ではここだけとのこと。 右手には、伽藍神や達磨大師、弘法大師像などが祀られている。

十六ノ井 

十六ノ井

十六ノ井

 仏殿の左、一段下の小道から、50mほど山際の道を進むと、弘法大師により掘られたとの言い伝えがある十六ノ井が洞穴の中にある。 窟の中央に石造りの観音菩薩像を祀り、その下方に弘法大師像が安置されている。 その左手の窪みには、阿弥陀三尊来迎図が彫られた嘉元四年(1306)の銘のある板碑があったが、現在は鎌倉国宝館に保管されている。 床には円形に掘られた浅い窪みが縦横四つずつ、合計十六、規則正しく並んでいる。綺麗な湧き水を湛えていることから『十六ノ井』と言われている。

底脱(そこぬけ)ノ井 

底脱(そこぬけ)ノ井

 寺の入口にあり、鎌倉十井(じっせい)の一とされている。 室町時代、上杉氏の一人の女性が尼として修行していたときのこと、この井で桶に水を汲んだところ、底が抜けてしまった。 ところが、このことで心の蟠り(わだかまり)が解け、悟りを得ることが出来たとの言伝えがある。
 傍らに立つ石碑には、
千代能が いただく桶の 底ぬけて 水も貯まらねは 月も宿らず
                       (如大禅尼)
 とある。


あとがき

 "十六ノ井"については、史書では"納骨の穴"とされており、語り継がれる綺麗ごとが真実ではないことも多くありそうだ。 なお、この寺も四季折々の花が見事だそうなので時々暇を見て訪れるといいのかもしれない。


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