事事関心! 仏閣探訪:
[ 神奈川県川崎市/称名寺 ]
神奈川県川崎市/称名寺           2019/03/18(月)更新
あらまし

 JR南武線「鹿島田」駅下車、駅前の道を東へ3つ目の信号のある交差点まで進み(約350m)、右折し更に南へ200mほど進むと右手に塀で囲われた称名寺がある。
 称名寺は、平間山歓喜院と称する浄土真宗大谷派の寺院で、応永元年(1394)に亡くなった圓山によって創建されたと云われている。
 また、称名寺は赤穂浪士所縁の寺としても有名で、大石内蔵助が吉良上野助邸へ討入りを果たす前に、平間村に逗留していたと云われている。更に寺には、赤穂事件で著名な赤穂浪士47士を描いた紙本着色四十七士像(市重要歴史記念物)が所蔵されている。

寺名: 平間山 称名寺
宗派: 浄土真宗大谷派
本尊: 阿弥陀如来像
創建: 不詳
開基: 僧円山
参観: 無料
住所: 川崎市幸区下平間183
アクセス: JR南武線「鹿島田」駅下車、駅前の道を東へ350m更に南へ200m、徒歩約10分

【履歴】
・2019/03/18(月): 03/18(月)探訪。

山門 

山門

寺号標石

「赤穂浪士所縁の寺」碑

 称名寺は、大石内蔵助が吉良上野助邸へ討入りをする前に平間村に逗留していたとされ、赤穂浪士所縁の寺として知られている。


本堂 

本堂

本尊:弥陀菩薩立像

扁額「平間山」

 先の大戦中、川崎大空襲(1945.4)の折、焼夷弾の直撃により寺院の大事な書類をはじめ、本堂(八間四面)・庫裡・山門を全焼し、唯一戦火を免れたのは鐘樓堂だけだった。 終戦後、復興が始まり、昭和二十七年(1952)に仮本堂建立、更に昭和三十六年(1961)には七間四面の現本堂が建立された。
 本尊の弥陀菩薩立像は高さ2尺6寸余り(約70cm)のもので、本願寺の六世巧如の作である。

境内 

鐘楼

親鸞上人銅像

山鹿素行の歌碑

大石内蔵助の歌碑

 鐘楼は、本堂に向って左の方にある。9尺四方、鐘は直径2尺2寸余、宝暦6年2月26日の鋳造のものがあったが、戦争時、強制供出したまま戻らなかった。そのため、現在の梵鐘は昭和五十一年(1976)に再鋳造されたものとなっている。
 大石内蔵助が信奉していた山鹿素行の和歌「幾秋も 光変わらず 澄む月は 曇らぬ世々の 為しとぞ知る」 という歌碑があり、隣には大石内蔵助の俳句「よしあしは まゝにしておけ 夏の月」の歌碑が並んで立っている。

あとがき

 市街地のお寺としてはかなり広い敷地を持つ寺院だが、残念ながら戦後の建物ばかりで歴史を感じ取れなかった。


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