事事関心! 仏閣探訪:
[ 神奈川県鎌倉市/建長寺 ]
神奈川県鎌倉市/建長寺           2019/01/19(土)更新


 「北鎌倉」駅に降りて驚くのは思いの外田舎の駅だなーという事だ。こんなにも食べる処がないとは...。 気を取り直し駅前の線路沿いに奔る県道21号線を鎌倉方向へ歩き始める。 暫くして(10分ほど)JR横須賀線の踏切を過ぎ、さらにその先にやっと建長寺が前方左手に見えてきた。
 建長寺の道を隔てた対面に「けんちん汁」で有名な「鎌倉五山別館」があった。 「けんちん汁」については、その昔、あるとき建長寺の小坊主が豆腐を床に落してグチャグチャにしてしまい困っていた。 すると蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)が壊れた豆腐と野菜を煮込だところ、とても美味しかったそうで、その料理は「建長寺(ケンチャンスー)汁」と呼ばれるようになり、これが訛って「けんちん汁」になったと云う話がある。
 建長寺は「巨福山建長興国禅寺」といい、鎌倉五山の第一位臨済宗建長寺派の大本山である。 約760年前の建長五年(1253) 鎌倉幕府五代執権北条時頼が建立したわが国最初の禅寺である。

寺名: 巨福山 建長興国禅寺(建長寺)
宗派: 臨済宗建長寺派
本尊: 地蔵菩薩
建立: 建長五年(1253)
開山: 蘭渓道隆
住所: 鎌倉市山ノ内8
アクセス: JR横須賀線「北鎌倉」駅下車、鎌倉方向へ徒歩10分

【履歴】
・2012/10/16(火): 新規
・2019/01/19(土): 更新

総門 

総門

 総門は、天明三年(1783)に建立された京都の般舟三昧院(はんじゅざんまいいん)の門を昭和十五年(1943)に方丈(龍王殿)とともに移築したもの。 額の「巨福山」は建長寺第十世住職一山一寧の筆によるもので、巨の字に筆勢による一点を加えられ、百貫の価を添えたものと云い、この点は世に「百貫点」と呼ばれている。
 総門をくぐると右手に拝観受付所があるので、ここで拝観料を収め入山する。なお、左手は出口で、お土産等の売店などがある。

三門 【重文】

三門

扁額「建長興国禅寺」

鬢頭廬尊者像

 総門から真っ直ぐ進むと正面に威圧感を感じる大きな三門が建っている。
 三門(山門)は、安永四年(1775)二百一世万拙碩誼(ばんせつせきぎ)によって再建されたもので、別名「狸の三門」と云われている。 建長寺大工の河内長兵衛が棟梁を務め、「建長興国禅寺」の大扁額を架けるため、上層に軒唐破風が設けられた。 三間二重門としては東日本最大の規模を誇っている。
 楼上には、釈迦如来・五百羅漢・十六羅漢が安置されており、その下を通ると心が清浄になことを祈念している。 門の通路左手に置かれた鬢頭廬尊者像は一般的には「なで仏」とも言われている仏教を守ると誓ったインドの十六羅漢の一人だ。そっと撫でて通り抜ける。

鐘楼 

鐘楼

梵鐘【国宝】

 三門から真直ぐ延びる参道を進むと右手に茅葺屋根の鐘楼が建っている。
 鐘楼に吊るされた梵鐘は建長七年(1255)に関東の鋳物師筆頭・物部重光が鋳造したもので、大覚禅師による建長禅寺の銘文が浮彫りにされているそうだ。 総高208.8cm、口径124.3cmで、平安時代の作風を踏襲している。建長寺創建当時の貴重な遺品である。 昭和二十八年(1953年)に円覚寺梵鐘とともに国宝に指定された。
 関東一美しい梵鐘として知られ、音色が人の泣き声に似ているということから「夜泣き鐘」とも呼ばれている。

 銘文の最後には、以下のように書かれている。
建長七年卯乙二月二十一日  本寺大檀那相模守平朝臣時頼  謹勧千人同成大器
 建長禅寺住持宋沙門道隆   謹題都勧進監寺僧琳長     大工大和権守物部重光

仏殿【重文】

仏殿

本尊/地蔵菩薩像

 創建当初の仏殿は、左右に土地堂と祖師堂を従えたものだったと云われている。 現在の仏殿は、正保四年(1647) 芝増上寺の徳川二代将軍秀忠夫人(崇源院)の東京芝増上寺の御霊屋を移築されたもの(寛永五年(1628)の建築物)。 将軍正室の霊屋であったため格式の高い建築であり、全体に精緻な禅宗様の意匠が施されている。 また、背面と右側面後方の脇壇といわれる建物からはみ出した仏壇があるのが特徴である。


法堂【重文】

法堂(はっとう)

扁額「海東法窟」

 法堂は住職が仏に代わり須弥壇上で説法するための堂宇で「粘華堂」とも云われる。
 当初の法堂は、建治元年(1275)建長寺開基で五代執権の北条時頼十三回忌のときに創建された。 現在の建物は文化十一年に再建され、木造建築では関東最大のものとなっている。


千手観音菩薩像

天井画/雲龍図(小泉淳作画)

 本来、法堂には仏像は祀らないが、現在は千手観音菩薩像と釈迦苦行像が祀られている。
 天井の雲龍図は創建750年を記念して、小泉淳作画伯によって描かれた。 雲龍図は、目が絵全体を囲む円のほぼ中心になる「八方睨み」と呼ばれる構図で描かれている。 どの位置から天井を見上げても龍と目が合うようになっている。


方丈、唐門

唐門(【重文】)

方丈(龍宝殿)

 この唐門は、もとは寛永三年(1626)から同五年の間に建立された芝増上寺の徳川秀忠夫人崇源院御霊屋正殿(現在、仏殿)前の中門と考えられる。 正保四年(1647)に移築され、方丈(龍宝殿)の正面に建てられている。


龍王殿襖絵/白浪画

庭園(龍王殿裏)(【国史跡】)

 龍王殿襖絵が特別公開されていた。
 (建長寺 龍王殿襖絵 公開 : 2012年10月7日(日)〜10月21日(日)
 庭園は大覚禅師の作庭でさん碧池を中心とした貴賓を応接するための禅寺を象徴する名園だ。

あとがき

 左手の道を約十分ほど上ると半僧坊大権現がある。今日は左足膝の古傷が痛み出してしまったので、諦めて以降の鎌倉までの散歩のためにマッサージに専念。足に自信のある時に訪れてみたい。

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