光明寺案内図 |
光明寺は、四代執権北条経時が然阿良忠を招いて開いた浄土宗の大本山である(末寺56ヶ寺を有していた)。
寛元元年(1243)の創建と伝えられ、建長寺・円覚寺・遊行寺と共に鎌倉四大寺にも数えられている。
良忠は浄土宗第三祖で、良忠が鎌倉に住んだことで浄土宗が関東以北へ広がったといわれる。
江戸時代には、徳川家康によって念仏信仰と仏教研鑽の根本道場として「関東十八檀林」(浄土宗十八ヶ寺)が定められ、その筆頭寺院として栄えた。
寺名: 天照山 蓮華院 光明寺
宗派: 浄土宗 大本山
創建: 寛元元年(1243) 浄土宗三祖然阿良忠上人
住所: 鎌倉市材木座6-17-19
アクセス: JR横須賀線「鎌倉」駅下車、
駅前バス7番乗場より「小坪経由逗子駅行」にて約10分、「光明寺」バス停下車、徒歩1分
【履歴】
・2013/05/14(火): 新規。
・2019/04/08(月): 更新(「光明寺展」にて山門・本堂拝観により内容追加)。
江戸時代、浄土宗の僧侶養成を担った、関東地方にあった一八箇寺。古くは談所、談義所、談林ともいった。
寺名 | 開山 | 開山年 | 寺名 | 開山 | 開山年 |
鎌倉光明寺 | 然阿良忠 | 寛元元年(1243) | 岩槻浄国寺 | 総誉清巌 | 天正一五年(1587) |
鴻巣勝願寺 | 然阿良忠 | 建長四年(1252) | 江戸崎大念寺 | 源誉慶巌 | 天正一八年(1590) |
瓜連(うりづら) 常福寺 | 成阿了実 | 延文三年(1358) | 館林善導寺 | 智誉幡随意 | 天正一八年(1590) |
芝増上寺 | 酉誉聖聡 | 明徳四年(1393) | 結城弘経寺 | 檀誉存把 | 文禄四年(1595) |
飯沼弘経寺 | 歎誉良肇 | 応永二一年(1414) | 本所霊山寺 | 専誉大超 | 慶長六年(1601) |
小金東漸寺 | 経誉愚底 | 文明一三年(1481) | 下谷幡随院 | 智誉幡随意 | 慶長八年(1803) |
生実(おゆみ) 大巌寺 | 道誉貞把 | 天文二二年(1553) | 小石川伝通院 | 正誉廓山 | 慶長一三年(1608) |
川越蓮馨寺 | 感誉存貞 | 永禄元年(1558) | 太田大光院 | 然誉?龍 | 慶長一八年(1613) |
滝山大善寺 | 讃誉牛秀 | 天正一三年(1585) | 深川霊巌寺 | 雄誉霊巌 | 寛永元年(1624) |
総門 |
総門はお寺の入口を示す門で、建立は明応四年(1495)で、その後寛永年間(1624-1628)に再興されている。以前のものはもっと大きな門だったようだ。
上部構造は桃山時代の様式が感じられ、屋根裏の木組みに注目すると太い大瓶束(たいへいつか)が数本立ち並び、昔の壮観さが偲ばれる。
山門 |
扁額「天照山」 |
楼上からの材木座海岸の眺望 |
この山門より内はお寺の聖域になる。ここの山門は五間三戸二重門(正面柱間が五間で、うち中央三間が通路になっている二階建て)といわれる門で、一階が和風、二階が中国風に造られている。
禅宗の五山形式が浄土宗に取り入れられたもので、浄土宗関東総本山にふさわしい大規模な門である。
鶴岡八幡宮から移築したものとされ、弘化四年(1847)頃の建築である。
山門に掲げられている「天照山」の扁額は、後花園天皇の直筆で、永享八年(1436)に賜ったものである。
十六羅漢像(8/16) |
釈迦三尊像と四天王像 |
十六羅漢像(8/16) |
平成三十一年三月二十四日(日)〜五月六日(月)の期間で「光明寺展と山門特別公開」が開催されている。
山門公開が観たくて極楽寺の特別拝観(四月七日〜九日)+忍性菩薩御廟特別参拝(四月八日)に合わせて参拝に訪れた。
楼上には、釈迦三尊、四天王、十六羅漢が祀られている。
ただ残念なことに、何れの像も新しくまだ有難味が醸し出されていなかった。
平成二十三年、普賢菩薩像の新彫とその他の諸像の修復が行われたとのこと。
本堂 |
扁額「光明寺」 |
扁額「勅願所」 |
元禄十一年(1698)の建立。入母屋造、銅板葺きで正面側面ともに十四間(約25m)の規模を誇る。
現存する木造の古建築では鎌倉一の大堂である。
本尊阿弥陀三尊ほか諸仏が祀られている。
かつては開山上人像を安置して「祖師堂」と称していた。仏堂でなく祖師堂を本堂とする伽藍形式は、知恩院をはじめとする京都の浄土宗本山の通例である。
百本柱のお堂としても有名である。
大正十二年(1923)の関東大震災でもほとんど損傷せず、建立当初の形式をよく保っている。
本尊: 阿弥陀三尊像 |
本尊の阿弥陀三尊は檀上中央に安置されている。
本尊:阿弥陀如来立像は鎌倉下向武士として当郷の地頭であった厚氏の菩提寺(曼陀羅寺)より移されたもので、安阿弥(鎌倉仏師快慶)の作と伝わる。
観音菩薩および勢至菩薩の脇侍を従えた弥陀三尊形式で宮殿に納まっている。
阿弥陀如来立像は傷みが激しかったが、平成二十六年(2014)に修復が行われ、往時の輝きを取り戻した。
左檀/宗祖法然上人像・如意輪観音像 |
左檀/阿弥陀如来立像 |
右檀/善導大師等身大立像・弁財天像 |
右檀には、かつて二尊堂にあって奉安せられていた善導大師等身大立像と弁財天像が安置されている。
善導像は、二祖聖光上人より拝受の像と伝えられ、弁財天はもと江ノ島弁天と伝えられている。
左檀上には、如意輪観音像と宗祖法然上人像が安置されており、日々の供養が続けられている。
開山堂 |
扁額「開山堂」 |
かつては現本堂を祖師堂と称していた。
大正十二年(1923)の関東大震災で倒潰した阿弥陀堂の本尊を旧開山堂へ遷座して本堂とし、開山堂は翌年、古材等も使用して新たに建てられた。
平成十四年(2002)老朽のため再建された。
開山をはじめ歴代法主の御影を祀っている。丁度、「光明寺展」にて寺宝特別展示が開山堂で開かれていたので、ついでに歴代法主の御影を拝ませて頂いた。
大聖閣 |
記主庭園 |
この庭園は浄土宗庭園で記主庭園とも呼ばれている。
蓮池には、夏ともなれば優雅な色を持って開花する。
七月には蓮を眼前に抹茶を頂く観蓮会(有料)が開かれている。
庭園内に聳える大聖閣(たいしょうかく)は宗祖法然上人800年大御忌を期して建てられた。
堂宇の二階には阿弥陀三尊が安置され、回廊よりその尊顔を拝すことが出来る。
とは言っても、距離がありすぎて倍率の高い望遠鏡が無いととてもじゃないが拝顔なぞ出来やしないなー...。
網引延命地蔵尊堂 |
石造延命地蔵 |
石造延命地蔵(網引延命地蔵)は、かつては、小坪路の鎌倉側の入口にあった。正中二年(1325)の銘をもつ地蔵尊である。 鎌倉二十四地蔵の一つに数えられている。
繁栄稲荷社 |
昔、開山良忠上人が当寺を開く前に佐助ヶ谷に住まわれていた。
ある日、子狐を助けると、その夜の夢に親狐が現れ、お礼にと薬種袋を置いていったと云う。
鎌倉に悪病が流行した折、上人は夢のお告げに従い、この種を蒔くと三日のうちに成長し、その葉を与えると、ことごとく快癒した。
上人は庶民の喜びようを見て「これは佐助稲荷の神助けだ」と云ったそうだ。
後代、この謂れにより佐助稲荷を勧請し「病魔退散」、「豊漁満般」、「家業繁栄」を祈念している。
鐘楼 |
総ケヤキ瓦葺きの鐘楼堂は弘化四年の建造。 現在の梵鐘は昭和三十六年、法然上人七百五十年遠忌に当たり、鋳造せられたもので、重量三百貫を誇る。
春の光明寺展(2019/3/24〜5/6)」に合わせて再訪した。同時に山門楼上の特別公開も開催しており、光明寺の本堂、開山堂も内部を併せて見ることができ、拝観には最適の機会だった。