JR「大船」駅で降り、川沿いの県道402号線を鎌倉方向に向かう。「山崎跨線橋北」交差点にぶっつかったら右折し、龍宝寺トンネルを潜ってさらに進むと右手に龍宝寺がある。
正式名は「陽谷山龍寶寺」で、鎌倉では寺院数が少ない「曹洞宗」の代表的な寺である。
開山は泰絮宗榮大和尚、開基は玉縄城主北條綱成で、他の寺の創建より遅い戦国時代に小田原城を中心に関東一帯に勢力を張った後北条の一族の手によってなされた。
この寺のはじまりは、玉縄城2代目城主北条綱成が文亀三年(1503)に建てた瑞光院で、天正三年(1575)玉縄城4代目城主北条氏勝が3代目城主氏繁を弔うため現在の地に移し、氏繁の戒名から寺名を「龍寶寺」として建立、以後、玉縄北条氏の菩堤寺として栄えた。
寺名: 陽谷山 龍宝寺
宗派: 曹洞宗
本尊: 釈迦如来像
建立: 天正三年(1575)
開山: 泰絮宗栄禅師
住所: 鎌倉市植木128
拝観: 無料
アクセス: JR「大船」駅にて下車、西口4番乗り場から藤沢行きバスに乗り「植木谷戸」バス停で降りて徒歩3分。
【履歴】
・2017/06/17(土): 06/16(金)訪問。
山門 |
「禁葷酒」塔 |
「三界萬霊」塔 |
敷地は非常に広大で、建長寺・円覚寺などの五山レベルである。
山門は江戸時代元禄年間の建築だ。山門をくぐると、参道が一直線でないこともあり奥にある本堂が見えないほどの広さである。
本堂 |
本堂内 |
昭和二十六年(1951)火災により寺の建物のほとんどが焼損した。その後、本堂は昭和三十五年(1960)再建されたものである。本堂には本尊の釈迦如来と脇侍の文殊と普賢菩薩が祭られている。
永正九年(1512)北条早雲が玉縄城を築城し、小田原城の支城として関東進出の重要な役目を果たしてきた。
供養塔は、この城の主、玉縄北条三代(綱成、氏繁、氏勝)の供養のため龍宝寺住職四世良俊大和尚が建てたもので、元は現在の栄光学園の敷地内にあったが造成工事の際に龍宝寺墓地裏の尾根上に移設された。
さらに、玉縄城築城500年を記念して参詣しやすいこの地に再度移設された。
なお、この供養塔は旧地に建っていたころ何時も倒れていて、誰かが直しておいてもすぐ倒れているので、土地の人は「ぶっけり仏」と呼んでいたと云う。
旧石井家住宅 |
旧石井家住宅 |
境内には国の重要文化財に認定された旧石井家住宅がある。石井家は後北条時代の地侍の出で、近世には名主をつとめたと伝えられる上層の農家。外廻りは庇や縁が無く、大部分を土壁とした閉鎖的な構えとなっている。 この住宅は鎌倉から甲州に至る甲州街道筋の鎌倉市関谷にあったもので、17世紀末頃の建築と考えられている。 構造は「ひろま」の奥に2部屋が配された三間取りで、古民家の中でも年代の古い代表的遺構の一つである。この住宅は神奈川県下に例の多い「三間取り四方下家造り」の農家の典型といわれている。
山門傍には幼稚園があり、甲高い幼児たちの歓声が静かな境内に響いていた。広い境内なので幼児たちの遊び場にはもってこいだろうなー。