京浜急行線「金沢文庫」駅下車、東口から国道16号線「金沢文庫駅前」交差点を横断し、少し南へ進むと左手に東へ向かう道がある。
その道に左折し道なりに進むと称名寺入口の赤門通にぶつかる。(約12分)
称名寺は北条実時が開基し、文永四年(1267)下野薬師寺の僧・審海を開山に招いて真言律宗の寺となった金沢北条氏一門の菩提寺である。
ここはなんといっても阿字ヶ池を横切る朱塗りの反橋と平橋が掛かる浄土式庭園が美しく、池のまわりには樹齢800年を超える公孫樹などの名古木があり、四季折々の風情が楽しめる。
また、歌川広重が描いた金沢八景の一つ「称名の晩鐘」はここ称名寺の鐘楼のこと。
裏手の山は1時間程で回れる「称名寺市民の森」ハイキングコースになっている。山頂には眺めの良い八角堂、北条実時の墓、石の百観音などがある。
なお、称名寺は全体が国の史跡に指定されている。
寺名: 別格本山 金沢山 称名寺
宗派: 真言律宗
本尊: 木造弥勒菩薩立像【重文】
住所: 横浜市金沢区金沢町212-1
参観: 無料
交通: 京浜急行線「金沢文庫」駅下車、東口より東へ徒歩12分
【履歴】
・2019/10/11(水): 10/09(水)参拝。
・2019/02/01(金): 更新。
・2014/01/08(水): 01/05(日)参拝。
赤門 |
扁額「称名寺」 |
「真言律宗 別格本山」 |
寺の表玄関に位置する惣門(赤門)は明和八年(1771)に建立された四脚門で、切妻造り・本瓦葺の朱塗門である。
再建当初は茅葺だったという。
門を潜ると石畳の参道が仁王門まで約100m続いている。
参道の両側には桜が植えられており、春には薄桃色に染め上げられると云う。
仁王門 |
金剛力士立像(吽)【県重文】 |
金剛力士立像(阿)【県重文】 |
仁王門は文政元年(1818)の再建で入母屋造、軒唐破風付、銅板葺の禅宗様三間一戸の楼門である。
これも総門同様に再建当初は茅葺だったとのこと。
左右の木造金剛力士像は元亨三年(1323)の制作で県の重要文化財に指定されている。
木造金剛力士像(仁王像)は阿形、吽形とも像高4m弱、東日本の仁王像の中では有数の巨像である。
阿字ヶ池 |
反橋、平橋 |
美女石 |
仁王門を入ると雄大な"称名寺庭園"が広がっている。金沢貞顕の時代の文保三年(1319)から翌年の元応二年にかけて性一法師の手で造られたそうだ。
称名寺庭園は、関東では珍しい浄土式庭園で、境内の真ん中に橋が架かる大きな池が配置されているという特徴がある。
また浄土式庭園は、一般に平安時代に作庭されたものが多いが、この称名寺庭園は鎌倉時代作で珍しいものとのこと。
現在のこの庭園は、昭和四十七年からの大がかりな調査を経て、昭和五十六年に整備されたもので、鎌倉時代末期に描かれた「称名寺絵図並結界記」(通称「結界図」)を基に再現しているとのことだ。
そして、落ちた二人は石となったという伝説が残されている。
その石が金沢四石に数えられている「美女石」と「姥石」。(現在は美女石のみが残る)
「 称名の みのりの池の 美女石も 今でも 乳母もろともに 蓮のうてなに 」
他の金沢四石は、金龍院の「飛石」と琵琶島の「福石」。
正面 |
右側面 |
反橋、平橋を渡ると正面に金堂が建っている。
現在の金堂は天和元年(1681)に再建された。
本尊として建治二年(1276: 鎌倉時代)に造られた木造弥勒菩薩立像【重文】が安置されている。
なお、寺の西側隣に建つ「金沢文庫」博物館で本尊のレプリカが拝観できる。
金堂右手に隣接する釈迦堂は鎌倉風であるが江戸時代の文久二年の再建である。
釈迦堂には、徳治三年(1308: 鎌倉時代)銘の釈迦如来立像【重文】が安置されている(金沢文庫に寄託)。
鐘楼 |
梵鐘(物部国光・依光鋳造)【重文】 |
釈迦堂の前にある鐘楼には、金沢八景の一つ「称名の晩鐘」として知られた梵鐘が吊されている。 実時が父母の追善のため鋳造したが欠損し、貞顕が物部国光と依光に改鋳させたもので国の重要文化財に指定されている。
金沢八景 称名の晩鐘(金龍院版 広重画) |
広重の大錦版画の「称名晩鐘」は、今から200年ほど前、泥亀町一帯が瀬戸の内海と呼ばれていた頃の風景を描いたものだ。 小舟から投網を打つ父と櫓漕ぎを手伝う子供、塩焼きの薪を運ぶ柴舟も見え、はるか金沢山の称名寺から、夕暮れ時の鐘が聴こえてきそうな風情である。
北条顕時公御廟 |
金沢貞顕公御廟 |
北条顕時は鎌倉中期の武将で実時の子。父の志を継ぎ、金沢文庫を隆盛にした。
金沢貞顕は鎌倉後期の武将で父は顕時。六波羅探題を務めたのち、第十五代執権となった。
和漢の書物を多数収集し、金沢文庫を国内屈指の武家の文庫に創りあげるとともに、称名寺の伽藍がらんや庭園の整備につくし、その最盛期を築いた。
称名寺の鎮守で寛政二年に再建された。銅(1790)板葺三間社造り、再建当時は茅葺だったという。
この表門は、小規模な四脚門だが、和様を基調に禅宗様を加味した意匠となっている。
寛文五年(1665)の建立で、市外から近年移築された三渓園の建造物などを別にすれば、造営年代が判明する市内の建造物のなかで最も古い貴重な建造物である。
横浜市指定有形文化財に指定されている。
光明院は、称名寺の塔頭のひとつで、「新編武蔵風土記稿」に「光明院、仁王門に向って左にあり、五院の第一臈なり、本尊地蔵春日の作なり」とあり、江戸時代後期には、五つの塔頭の一位を占めていた。
金沢北条一族の墓地 |
金沢北条一族の墓 |
北条実時の墓 |
北条実時墓の左右に並ぶ五輪塔は金沢北条一族の墓といわれている。
北条実時は、金沢北条氏の祖。金沢(かねさわ)実時とも呼ばれる。
四代執権北条経時、五代執権北条時頼の側近として政務に加わり、引付衆や評定衆などの要職を歴任した。
八代執権北条時宗を補佐し、安達泰盛とともに越訴奉行も務めた。
「文永の役」後引退し、六浦荘金沢に移り住み、蔵書を集めた「金沢文庫」を創設している。
八角堂 |
石の百観音 |
八角堂は、境内裏山の金沢山(きんたくさん)の山頂にある。その八角堂へは「百番観世音霊場登口」という石碑の裏手にある山道を登っていく。
山道となっている石段の登山道を登っていくと、道の谷側に沿って仏像が並んでいる。「石の百観音」である。
15分ほど登ると山頂の開けた場所に朱色の壁が印象的で八角形の形をした堂宇が建っている。
思いの外、草刈り整備がされていないので見晴らしは良くない。横浜のランドマークタワーは見えたけどねー...。
前回パスしていた裏山の散策、隣の金沢文庫を見学した。
称名寺に1275年設置された「金沢文庫」には、教学研究のために収集された大量の文物が引き継がれている。
今回は「聖徳太子信仰」と銘打たれた特別展を拝観しに訪問した。