事事関心! 仏閣探訪:
[ 神奈川県横浜市/定泉寺 ]
神奈川県横浜市/定泉寺           2017/06/17(土)新規
探訪案内 

 JR大船駅西口より戸塚バスセンター行に乗り、「洞窟前」バス停にて下車。すぐ先左手にひっそりと佇んでいる。
 田谷山定泉寺の開山は、鶴岡二十五坊の1つ相承院の供僧中納言法印快元の弟子、隆継阿闍梨で、開創は、室町時代末期の天文元年(1532)とされている。
 定泉寺の本尊は阿弥陀如来で、鶴岡八幡宮の本地仏が阿弥陀如来であったことに由来している。
 江戸時代の寛永十年に整備された「関東古義真言宗本末帳」によると、定泉寺は横浜にある三会寺の末寺と記され、終戦前までは、古義真言宗高野山派中本山三会寺の末寺だった。戦後、大覚寺派に移り現在に至っている。

寺名: 田谷山 定泉寺
宗派: 真言宗大覚寺派
建立: 天文元年(1532)
開山: 隆継阿闍梨
本尊: 阿弥陀如来坐像
住所: 横浜市栄区田谷町1501
拝観: 瑜伽洞(400円)
アクセス: JR大船駅西口より戸塚バスセンター行にて「洞窟前」バス停下車すぐ

【履歴】
・2017/06/17(土): 06/16(金)拝観。

田谷山定泉寺


山門

本堂

 本尊に厄除け身代わり阿弥陀如来・不動明王・弘法大師を祀っている。 本堂にある厄除け木魚を厄年の人は年齢の数、その他の人は21回叩き、厄除を祈願する。 また、歓喜大黒天の鈴を振って招福を祈願することもできる。


田谷山瑜伽堂("田谷の洞窟")

田谷山瑜伽堂("田谷の洞窟")


 古墳時代の横穴墓あるいは横穴住居跡だったものを、鎌倉時代に修行僧たちが真言密教の道場として迷路のように掘り広げたもの。 その後崩落・荒廃していたが江戸後期の天保年間に洞窟を整備し、数々の彫刻を施し現在の地底伽藍が完成したと云う。
 洞窟の壁に浮彫りの仏像彫刻が三百余りあり、仏殿を模した小伽藍や座禅修行場を順路(約250m)に従って拝観できる。

 訪れた当日、境内には洞窟拝観受付の人を除くと私一人しかいなかった。拝観料(400円)を払い蝋燭を燭台に刺し入口を入った右手に置かれた蝋燭の火から自分のものを灯す。 水音が微かに響く以外無音の中を足元と蝋燭の火が消えないように気を付けながらユックリと順路を巡るが、迷子にならないか心細かった。所々に電球も灯っているが基本は手持ちの蝋燭の灯りで壁の彫刻を鑑賞するが良く見えなかった。
 洞窟内は撮影禁止である。

朝比奈弁財天、子安地蔵尊

朝比奈弁財天

子安地蔵堂

子安地蔵尊

 朝比奈三郎が日夜礼拝していたと伝わる朝比奈弁才天が祀られている。
 言い伝えでは義秀がこの地に弁才天を祀り、1213年に起こった「和田合戦」で義秀がこの敷地内を通って落ち延びたと言われている。 また鎌倉幕府滅亡時にも、落武者が逃れたと云う。


玉石

玉石

歌碑

【玉石】
 玉石の脇に「おんばらだはんどめいうん」の札が建ててあった。(『観音経』『如意輪観音の真言・おんばらだはんどめいうん』)
 そしてご利益は、「この玉石を撫で、その手でお腹をさすると玉のような赤ちゃんに恵まれる」そうだ。
【歌碑】
 「御先祖乃 由縁の寺や 蝉時雨  やま」


あとがき 

 街中から離れた水田が広がる田園風景の小山の麓にポツンとあるお寺のせいもあるが、参拝に訪れる人は少ないようだ。 昭和の時代には多くの観光客で賑わっていた記憶があるのにな―...。


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