事事関心! 仏閣探訪:
[ 京都市東山区/蓮華王院三十三間堂 ]
京都市東山区/蓮華王院三十三間堂     2018/11/10(土)新規
探索案内

 三十三間堂は6年ぶりの訪問になる。 今回は、「千手観音立像の国宝指定を祝う事業の一環として1001体の"木造千手観音立像"が26年ぶりに勢ぞろいした。」というので観に来たのだ。
 普段は東京、京都、奈良の国立博物館へ寄託されている計5体が戻り、全部集まるのは1992年の法要以来と云う。 11月26日までは、堂内に高さ1.2mの台が設置され、通常と違う高い視点から奥の像まで見渡せる。 しかも、1001体が揃っているのは11月末まで、と言うから「この機会は逃せないだろー」、と朝8時の開門時間前に窓口に並んだ。

寺名: 蓮華王院 三十三間堂
宗派: 天台宗
本尊: 千手観音
住所: 京都市東山区三十三間堂廻町657
アクセス: JR京都駅より市バス206系統15分。

【履歴】
・2018/11/10(土): 10/31(水)拝観

本堂(三十三間堂)【国宝】



 本堂は「三十三間堂」と通称される。これは、東面して、南北に延びるお堂内陣の柱間が33もあるという建築的な特徴による。 なお、「三十三」という数は、観音菩薩の変化身三十三身にもとづく数を表している。
 平安後期、約30年の間院政を行った後白河上皇が、自身の職住兼備の「法住寺殿」と呼ぶ院御所内に、当時、権勢を誇った平清盛の資財協力によって創建したもの。 ところが、そのお堂は建長元年(1249)市中からの火災により焼失し、鎌倉期・文永三年(1266)に再建されたのが現存のものだ。
 朱塗りの外装で、堂内は、花や雲文様の極彩色で飾られたといい、今もわずかにその名残を停めている。
 地上16m、奥行き22m、南北118mの長大な和様・入母屋造り本瓦葺きの堂宇が手前からはるか彼方へ一点透視的に漸減する眺めは必見である。


中尊【国宝】(ネット借用)

十一面千手観音立像【重文】(ネット借用)

 中央の中尊を中心に左右に500体、合計1001体が本尊である。中尊は大仏師湛慶82歳の時の造像で鎌倉期(建長六年)の名作である。 等身立像の中、124体は堂創建時(平安期)のもので、残り800体は鎌倉期の再建の折に約16年かけて復興された。


風神像【国宝】(ネット借用)

大弁功徳天像【国宝】(ネット借用)

密迹金剛像【国宝】(ネット借用)

雷神像【国宝】(ネット借用)

 風神・雷神像と観音二十八部衆像の配置が後白河上皇のため平安末期に創建された当時の姿に1934年以来84年ぶりに改められた。 風神と雷神は左右が入れ替わり、二十八部衆像も13体が改名され、配置順も変わっている。

久勢稲荷大明神



 鎮守社である久勢稲荷大明神は境内の南西に位置している。


東大門



 昭和三十六年(1961)良泉大僧正による後白河法皇770回忌曼供の奉修に合わせて東大門、回廊が新造された。 その後、東大門は昭和五十六年(1981)に修復がされている。


太閤塀



 三十三間堂南後方に回ると「太閤塀」と呼ばれる重文の築地塀がある。秀吉が築造したことからその名がある。
 築地塀(ついじべい)の築地とは「築き泥」の略であり、仮枠を並べて中に土を層状に積み上げ、乾燥後枠を外す、という方法で造られる。 そして、中に定規筋と呼ばれる白い線を入れるようになり、やがてその線は5本を最上として、線の数がその社寺等の格を表すようになった。 ちなみに5本線は,御所と門跡寺院にのみ用いられている。
 太閤塀は、江戸時代(1588年頃、1660年頃まで)に築造されたとみられており、南大門から西に92m現存している。

あとがき

 三十三間堂の仏像たちはやっぱり凄い!!。今回は、開門時から修学旅行の生徒たちの群れを避けるようにして、じっくり鑑賞した。 鑑賞用に設置された高い台は中央部にほんの4,5mだったが、確かに最後列の千手観音のお顔まで見る事が出来、貴重な体験となった。


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