JR「京都」駅中央口の駅前バスターミナルより市バス206系統[祇園・北大路バスターミナル行]に乗り約20分、「清水道」バス停で下車し70mほど先の「清水道」交差点まで進む。
この交差点で左折し、120mほど進むと右手にある。(バス下車後徒歩約3分)
六道珍皇寺は「六道さん」の名で親しまれ、お盆の精霊迎えに参詣する寺として知られている。人気のある八坂の塔や清水寺とは東大路通を挟み反対側に位置しているためか参拝者の数は少ないようだ。
平安前期の延暦年間(782〜805年)の創建で、開基は弘法大師の師にあたる慶俊僧都といわれているが諸説ある。
元は真言宗の寺院で東寺に属していたが戦乱にて荒廃し、貞治三年(1364)に建仁寺の聞渓良聴によって再興・改宗された。
本尊は薬師如来坐像(重要文化財)で、本堂(薬師堂)に安置されている。
寺名: 大椿山 六道珍皇寺
宗派: 臨済宗建仁寺派
本尊: 木造薬師如来坐像【重文】
創建: 伝: 承和年間(834年〜848年)
開基: 伝: 山代淡海
住所: 京都市東山区大和大路通四条下ル4丁目小松町595
アクセス: JR京都駅より市バス206系統20分、「清水道」バス停下車、徒歩約3分。
【履歴】
・2018/11/02(金): 10/31(水)初訪問。
山門 |
「六道の辻」石碑 |
山門の脇には"六道の辻"と書かれた石碑がある。
この地は平安京の外に位置し、嵯峨野の化野(あだしの)、東山の埋葬地・鳥辺野(とりべの)と並ぶ、平安京三大葬地の1つである船岡山北西一帯の蓮台野(紫野)の入口であるため、死霊に引導を渡すお寺(鳥辺野は当寺"六道珍皇寺")がおかれている。
本堂 |
本堂には京仏師中西祥雲作の薬師三尊像が安置されている。
また、今回は拝見していないが、本堂内の欄間はたくさんの地蔵菩薩が彫られた地蔵欄間で、浄土を表現しているという。
本堂前の塔は三界萬霊供養塔である。
三界万霊塔とは、路傍や寺の入口、あるいは墓地によくみかけるもので、次のような意味を持っている。
三界とは仏教の言葉で、欲界(食欲、物欲、性欲の世界)、色界(物質の世界)、無色界(欲も物もない世界)の三つの世界をいう。また、過去、現在、未来をいうこともある。
これらの世界の霊、この世の生きとし生けるものすべての霊をこの塔に宿らせて祀りするために建てられた塔である。
多くは寺の境内や墓地に建てられて、万霊の供養や無縁仏を供養するものとされている。
閻魔堂 |
閻魔大王像 |
小野篁像 |
閻魔堂は普段は格子戸が閉められており、中に納められた閻魔大王像・小野篁像の拝観は出来ない。
なので、格子戸のガラス越しに覗かせていただいた。
平安時代の官僚・小野篁は、昼間は朝廷に出仕し夜は閻魔大王に仕えていたという伝説があり、境内にある井戸から冥界へ通ったといわれている。
冥土通いの井戸 |
黄泉返りの井戸 |
庭園には小野篁が使っていたという「冥土通いの井戸」がある。
「冥土通いの井戸」は寺宝を展示する特別公開期間中でないと庭園に入れないので見ることはできない。
「黄泉がえりの井戸」は、一説には廃寺になってしまった嵯峨の福生寺にあったとされていた。しかし、それだと毎晩地獄に通うには距離的に無理がある。
そんなわけで謎となっていた。そして、2011年になり、「黄泉がえりの井戸」が寺隣の民有地(旧境内地)から発見された。
寺を訪問した時、こちらは寺と清水道の間の辻に面して井戸の入り口の案内板があったが、公開/非公開かは不明(調べていない)。
平安時代、宮廷に仕えた優秀な官吏に小野篁(おののたかむら)という人がいた。
小野篁という人、実は昼間は帝に仕えていながら夜になると地獄の閻魔大王庁に出仕し、大王の裁判の補佐をしていたという伝説がある。
実際に現在の京都市東山区にある六道珍皇寺というお寺には篁が夜な夜なそこを通って冥土にかよったといわれる井戸がある。
夜になると篁はこの井戸を通って冥界に行き、朝になると別の井戸を通ってこの世に戻ってきていたと云う。
嵯峨にあった福正寺(現在の嵯峨薬師寺)というお寺には地獄から戻ってくる際に出てきた井戸の跡があった(現在は無い)。
訪れた境内には人影はなく、しばしの間境内を見て回ったが、境内を後にするまで結局誰とも会わなかった。 明日(11/1〜)からは「秋の特別公開・寺宝展」が始まるので参拝客・観光客の足も戻ってくるんだろうなー。