如意輪観世音菩薩像(ポスター) |
頂法寺(六角堂)は地下鉄烏丸線「四条」駅より烏丸通を北へ徒歩5分、六角通に至ったら東へ入るとすぐ左手にある。
頂法寺は本堂の形が六角形であることから、古くより「六角堂」の通称で知られ、親しまれている。
聖徳太子が用明天皇二年(587)に創建したと伝わっており、本尊の如意輪観音像が人々の信仰を集めてきた。
華道家元池坊が住職を務め、いけばな発祥の地としても知られている。
施設: 六角堂(紫雲山 頂法寺)
宗派: 天台系
本尊: 如意輪観世音菩薩像(秘仏)
創建: 用明天皇2年(587)
開基: 聖徳太子
住所: 京都市中京区六角通東洞院西入堂之前町
アクセス: 京都市営地下鉄烏丸線四条駅より北へ徒歩5分。
【履歴】
・2018/11/02(金): 10/31(水)拝観
山門 |
六角通に面し、少し奥まった山門をくぐると正面に六角堂本堂が佇んでいる。
現在の山門は、寛永十七年(1641)内裏造営の際の余材により、本堂と同時に四脚門として再建されたものとのこと。
本堂(拝堂) |
本堂-側面 |
如意輪観音坐像(御前立) |
本堂は、タラノキの根が六方向に延びていたため、堂も六角形になったとも伝えられている。
六角形の本堂は明治十年(1877)の再建で、正面に拝堂が付属している。
本尊は聖徳太子の念持仏と伝わる如意輪観音坐像(秘仏)で、厨子の前に御前立が安置されている。
脇侍は、毘沙門天立像(重要文化財)と地蔵菩薩立像である。
また、本堂の裏側にも多くの仏像が安置され、小窓から拝むことが出来るそうだが、訪問時知らなかったので拝んでいない。
残念!! 街中にあり、交通の便が良いので都合をつけて再訪しよう。
境内北東の池の隅に浮かんでいる建物は太子堂と呼ばれ、六角堂を創建した聖徳太子を祀っている。
平安時代以降、六角堂を一つの拠点として京都に太子信仰が広まっていった。
堂内部には、太子が合掌して「南無仏」と唱える二歳像、父である用明天皇の病気平癒を祈る十六歳像、仏教の受容をめぐり物部守屋と戦った姿を表す騎馬像が安置されている。
親鸞堂 |
「草鞋の御影」 |
親鸞が鎌倉時代の初め、建仁元年(1201)六角堂に参籠し、浄土真宗を開くきっかけを得たことにちなみ、親鸞の像を二体安置している。
一体は草鞋を履いて比叡山から六角堂へ向かう姿、もう一体は六角堂に籠もり如意輪観音から夢の中でお告げを受けている姿である。
不動堂 |
不動明王像 |
石不動 |
不動明王は、大日如来が一切の悪魔を降伏させるために身を変じた存在で、怒りの形相をとり、強い法力を持っている。
六角堂の境内には、不動明王の石像と木像をそれぞれ安置する堂が隣接して建っている。
石不動は安永九年(1780)刊行の『都名所図会』に描かれている。
へそ石 |
本堂東側、柵で囲われた中に平面六角形の平らな石があり、「へそ石」または「要石(かなめいし)」と呼ばれている。
この石には、「延暦十二年(793)都が京都に遷都の際、六角堂が道路の中央に当たったため、桓武天皇が移動祈願されたところ、堂が五丈(約15m)程北へ移動したという。
その時、とり残された礎石がこの石である。」との言い伝えがある。
「へそ石」という言葉は、この石のある位置が「平安京の中心である」/「京都盆地のほぼ中央に当たる」ことに由来しているという。
そんなへそ石ではあるが、実は何度か移転している。幕末まで六角通中央にあったそうだ。
そして、寺の移転後は取り残されていたが、1877年に境内東方脇門内に、更にその後、1930年に現在地に移された。
十六羅漢像 |
羅漢は、仏の教えを護り伝えることのできる優れた僧侶に与えられた名前。
十六というのは、方位の四方八方を倍にした数で、あらゆる場所に羅漢がいることを意味している。
六角堂の十六羅漢は、「和顔(わげん)愛語(あいご)」を実践し、いつもにこにこしている。
いつも優しい顔つきで、穏やかに話をするように心掛けてさえいれば、必ず良い報いがあるという教えと云う。
六角堂は京都の真ん中を南北に走る大通り「烏丸通」のビル街の中に静かに佇む古寺だ。
そして、平日のお昼時間には近所で働く会社員の姿が意外と多くみられる憩いの場所でもある。
お寺も庶民の付き合い方は時代とともに移ろい、変化していくものだなー。
暫しベンチで休んでいたら、やたらと鳩が多いことに気が付いた。しかも全て丸々と太っている。冬に備えて?? イヤイヤ! 餌のやりすぎはいかんと思うがねー。