京都駅からJR東海道線で一駅目の「山科」駅で降車。
駅前ロータリー右向いにある京阪京津線の線路の手前沿いに奔る路地を東へ進み、200mほど先で線路を横切る道に出る。
ここを左折し、JR東海道線のガード下を潜り緩やかな坂道を真っ直ぐ約10分ほど登った処に毘沙門堂門跡はある。
毘沙門堂の前身の出雲寺は、飛鳥時代の末期に文武天皇の勅願により行基が開いたと云われている。
ただ、場所は京都御所北側に位置していた。
中世には荒廃したが、慶長十六年(1611)天海僧正が再興に力を注ぎ、寛文五年(1665)に弟子の公海僧正により現在の山科の地に再建された。
その後、後西天皇の皇子公弁法親王が入寺し、隠棲したことから門跡寺院となった。
「毘沙門堂」との呼称は平安時代に最澄が毘沙門天を安置したことから始まったと云われている。
寺名: 毘沙門堂門跡(護法山 安国院 出雲寺)
宗派: 天台宗
本尊: 毘沙門天
開祖: 行基
創設: 大宝三年(703)
住所: 京都市山科区安朱稲荷山町18
札所: 神仏霊場巡拝の道第129番
拝観: 9:00〜17:00境内無料。本堂・霊宝殿は600円
アクセス: JR東海道線「山科」駅下車、徒歩約15分
【履歴】
・2019/09/28(土): 09/26(木)探訪
毘沙門堂の境内入口に当たるところに「極楽橋」と名付けられた小さな石橋がある。 後西天皇がこの地に来られたとき、橋より上はさながら極楽浄土のような清浄華麗な霊域であると感嘆され、「極楽橋」の名前を賜ったことに由来していると云われている。
途中から急峻となる石段を上ると本堂への表門にあたる「仁王門」がある。 仁王門の両脇には寛文五年(1665年)に建立された阿吽の二天像が護っている。
本堂は寛文五年(1665)に天海大僧正の遺志を受け継いだ公海大僧正が再建したものである。
向唐破風造の門や堂の周囲の透塀など京都の仏堂建築ではあまり見られない。
本尊の毘沙門天像(秘仏)は、伝教大師最澄の自作で、延暦寺根本中堂のご本尊薬師如来の余材をもって刻まれたと伝えられている。
仁王門を潜り、本堂に向かう参道を唐門の手前で右の方向に進むと経蔵がある。経蔵は経典を安置するため建物である。
「高台弁財天」は、大阪城内で祀っていた弁財天を移したと言われている。
宸殿T |
霊殿の西側、本堂から見て西北の位置に霊殿から廊下を介して宸殿が建てられている。
宸殿はTとUに分かれており、両者は外観からは別棟になっているようであるが、内部は密接しており廊下を境に区分されているように思われる。
この宸殿は御所にあった後西天皇の宮殿を元禄六年(1693)に移したもので、宸殿Tにある襖絵は「うごく襖絵」として知られている。
玄関(宸殿U) |
扁額「護法山」 |
衝立「夢」 |
玄関は宸殿Uの方につけられている。玄関の背後に見えるのが宸殿Uである。 また、宸殿Uに置かれている「鯉の絵」も著名である。
勅使門は後西天皇より拝領した門で毘沙門堂の総門に当たる。
かつては天皇の行幸、現在は毘沙門堂門主の晋山式以外は開門されない開かずの門である。
この勅使門へと続く緩やかな石段の参道は両側は紅葉の木が植えられており、季節になると見事に紅葉した紅葉のトンネルと紅葉の落葉が敷き詰められた参道は見事だと云う。
今回は旅行最終日の三井寺・近江神宮を訪れた後での立ち寄りだったこともあり、あまり時間が取れなかったので宸殿・霊殿の拝観はしなかった。