事事関心! 仏閣探訪:
[ 京都市左京区/百万遍知恩寺 ]
京都市左京区/百万遍知恩寺         2013/12/31(日)新規
探訪案内

 左京区百万遍にある浄土宗四ケ本山「百万遍知恩寺」を訪れた。 京阪本線「出町柳」駅からだと、今出川通を東へ約10分、東大路通と交わる「百万遍」交差点の先すぐの処にある。
 浄土宗を開いた法然上人は今から約八百数十年前、百萬遍知恩寺の前身であり、賀茂の禅坊と当時呼ばれていた賀茂の神宮寺に住んでいた。そして都の人々に「念仏のみ教え」を説いた。 建暦二年(1212)正月二十五日法然上人は入滅され、直弟子である勢観房源智上人が師の恩に報いるためには「恩」を「知」らなければならないと「知恩寺」と名付けた。 元弘元年(1331)第八世善阿空圓上人の時、地震がもとで都に疾病が蔓延した。 それに心を痛めた後醍醐天皇の勅命を受けて弟子らと共に七日七夜に渡り百万遍の念仏を称えながら大念珠繰りをしたところ疫病が治まったことから「百萬遍」の号が下賜された。 その後幾度かの移転を経て、江戸時代の寛文二年(1662)第三十九世中興の光譽萬霊上人によって現在の地に再興された。

寺名: 四ケ本山 百万遍知恩寺
宗派: 浄土宗
本尊: 阿弥陀如来像
創建: 建暦二年(1212)
開基: 勢観房源智上人
開山: 法然
札所: 法然上人二十五霊場22番
拝観: 無料、宝物殿400円
住所: 京都市左京区田中門前町103
交通: 京阪本線「出町柳」駅下車、東大路通を東へ徒歩10分、百万遍の交差点先

【履歴】
・2023/12/31(日): 10/05(木)探訪

総門【重文】


 広小路に百萬遍知恩寺が所在した時に総門であったものが類焼を免れたため、移築されて現在も総門として使用されている。


西門【重文】

 正徳元年(1711)再建。かつてはこちらが百萬遍知恩寺の正門であり、楼門様式で建てられていた。


御影堂【重文】


 第三十九世光譽萬霊上人が寛文二年(1662)に建立するも、九十四年後の第四十八世震譽知巖上人によって宝暦六年(1756)現在の御影堂である(間口15間、奥行13間)総欅造りの大きなものに改められた。 内陣と外陣の間に蔀戸がついていたが、現在は取り外されている。 大殿中心の宮殿を置く須弥壇は寛文年間の御影堂のものを転用していると思われる。 また、総本山知恩院の御影堂は現在の百萬遍知恩寺御影堂設計図を拡大して建立したとされ、造りが非常に酷似している。


釈迦堂【重文】


 平安時代より賀茂の釈迦堂として知られたお堂で、百萬遍知恩寺の本堂である。寛文四年(1664)再建。 中世浄土宗寺院は禅宗寺院建築の影響を受けていたが、それを踏襲した様式の造りとなっている。 堂内には天台座主の慈覚大師円仁作と伝わる丈六の釈迦如来坐像が鎮座している。


阿弥陀堂【重文】


 天保三年(1832)再建。浄土宗の寺院であるが初めて阿弥陀堂が建立された年は文化八年(1811)と遅めである。
 釈迦堂と同じ禅宗様を基本としつつも江戸末期の流行を取り入れた御堂。 阿弥陀如来は西方浄土に住むということから、西を背にして建てられている。 堂内、来迎壁裏には宮中御用絵師土佐光孚による騎獅の文殊菩薩が描かれている。


勢至堂【重文】


 寛文十四年(1731)再建。法然上人は生前に「知恵第一の法然房」といわれた所以から勢至菩薩の化身だという信仰に発展し、浄土宗では勢至菩薩を本地仏として祀ることがある。


鐘楼堂【重文】


 吊られている梵鐘は珍しい朝鮮様式のもの。 その特徴として鐘の吊るす部分である竜頭の横に筒状の音が抜ける為の旗指があり、模様も瑞雲や仏を描き日本の和鐘と違った趣となっている。


あとがき

 京都大学を訪れた際に見逃していたので再訪し参拝した。、

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