醍醐寺へは、JR京都駅八条口のホテル京阪前バス乗場より"山急醍醐寺行"バスにて約30分で行ける。
醍醐寺は聖宝理源大師が貞観十六年(874)に上醍醐山上で地主横尾明神の示現により、醍醐水の霊泉を得、小堂宇を建立して、准胝、如意輪の両観音像を安置したのに始まる。
そののち醍醐・朱雀・村上三帝のご信仰がよせられ、延喜七年(907)には醍醐天皇の御願による薬師堂が建立され、五大堂も落成するに至って上醍醐の伽藍が完成した。
それに引き続くように下醍醐の地に伽藍の建立が計画され、延長四年(926)に釈迦堂が建立。
ついで天暦五年(951)に五重塔が落成し、下伽藍の完成をみた。
その後、真言宗小野流の中心寺院として仏教史において重要な地位を占めた。更に、座主勝覚(俊房の息)の時代に山上・山下共に伽藍がことごとく整備され、永久三年(1115)に三宝院が建立され醍醐寺発展の基礎が確立された。
寺名: 総本山 醍醐寺
宗派: 真言宗醍醐派
開基: 理源大師聖宝
創建: 貞観十六年(874)
本尊: 薬師如来(重要文化財)
住所: 京都市伏見区醍醐東大路町22
拝観: 無料、拝観券(三宝院・霊宝館・伽藍) 800円(春期・秋期は1500円)
交通: 京阪バス「醍醐寺前」バス停すぐ
【履歴】
・2018/11/03(土): 10/28(日)探訪
【重文】 |
三宝院は永久三年(1115)、醍醐寺第14世座主・勝覚僧正により創建された。
醍醐寺の本坊的な存在であり、歴代座主が居住する坊である。
現在の三宝院は、その建造物の大半が重文に指定されている。
中でも庭園全体を見渡せる表書院は寝殿造りの様式を伝える桃山時代を代表する建造物であり、国宝に指定されている。
三宝院唐門【国宝】 |
三宝院唐門【国宝】 |
三法院の公開は大玄関から表書院までで、唐門や庭園を眺めて終わりと一寸味気ない。非公開の本堂に快慶の最高傑作とも言われる弥勒菩薩坐像[重文]が祀られているので、これを観たかったなあー。
三宝院庭園 |
三宝院庭園 |
三宝院庭園 |
国の特別史跡・特別名勝となっている三宝院庭園は、慶長三年(1598)、豊臣秀吉が「醍醐の花見」に際して自ら基本設計をした庭であり、今も桃山時代の華やかな雰囲気を伝えている。
仁王門 |
金剛力士像【重文】 |
金剛力士像【重文】 |
仁王門は豊臣秀頼が金堂の再建の後、慶長十年(1605)に再建したもの。 そこに安置されている仁王像(重文)は、もとは南大門に祀られていた尊像で、平安後期の長承三年(1134)に仏師勢増・仁増によって造立された尊像である。
金堂【国宝(建造物)】 |
鐘楼 |
金堂は、醍醐天皇の御願により延長四年(926)に創建された建物。
当時は釈迦堂といわれていたが、永仁、文明年間に二度焼失した。
現在の金堂は豊臣秀吉の命によって紀州(和歌山県)湯浅から移築が計画され、秀頼の時代、慶長五年(1600)に完成した。
この金堂が、醍醐寺の中心の堂宇であり、安置されていた薬師如来坐像が醍醐寺の本尊である。(現在は霊宝館に安置)
四天王立像 |
薬師如来【重文】 |
四天王立像 |
金堂の中央には、薬師三尊像(中央:薬師如来、脇侍:日光・月光菩薩)が奉安されている。 平安初期の檀像彫刻を模した鎌倉初期の復古調の優作といえる。 薬師三尊の左右には、四方を守護する四天王立像(平安時代)が配されている。
五重塔 |
醍醐天皇のご冥福を祈るために、第一皇子・朱雀天皇が承平六年(936)に着工し、第二皇子・村上天皇の天暦五年(951)に完成した。 初層の内部には両界曼荼羅や真言八祖が描かれており、日本密教絵画の源流をなすものといわれている。 高さは約38mで屋根の上の相輪は約13mあり、相輪が塔の三分の一を占め、安定感を与えている。 京都府下で最も古い木造建築物である。
拝殿【国宝(建造物)】 |
本殿【重文(建造物)】 |
醍醐寺の総鎮守清瀧権現(せいりゅうごんげん)を祀る鎮守社。 永長二年(1097)に、最初に建立された上醍醐より分身を移し祀られた。 その後、この社殿の前で清瀧会(桜会)が行われるようになったが、文明の兵火により焼失。 現在の社殿は永正十四年(1517)に再建され、慶長四年(1599)、座主・義演僧正により拝殿の整備が施された。
堂前の護摩道場では、当山派修験道の柴燈護摩が焚かれ、世界平和など様々な祈願を行っている。 簡素な佇まいの堂内には、左脚を踏み下げる半跏像の不動明王を中心に五体の明王が奉安されている。
もとは朱雀天皇の御願により法華三昧堂として天暦三年(949)に創建されたが、文明二年(1470)に焼失。 現在の堂は平成九年(1997)に真如三昧耶堂として建立された。
慶長十年(1605)九月座主義演准后により建立されたもので、真言宗を開いた弘法大師・空海と、その孫弟子で、醍醐寺を開創した理源大師・聖宝とが祀られている。 弘法大師の誕生日である六月十五日には、降誕会が行われる。
祖師堂の前を通る参道をさらに東へ進むと、上醍醐登山口ともなる鄙びた趣のある山門が構えている。 「日月門」と呼ばれる門のその先に広がるのは「大伝法院」と名付けられたエリアであり、この門の先はかつての修験道だった。
観音堂を中心に広がる、林泉及び弁天堂、地蔵堂、鐘楼、伝法学院等は総称して「大伝法院」と呼ばれていた。 これら諸堂は、醍醐天皇一千年御忌を記念し、昭和五年(1930)山口玄洞居士の寄進により造築されたものである。 観音堂には、平安末期に制作された醍醐寺最大の丈六の木造「阿弥陀如来坐像」が祀られている。 その他、大日如来坐像や深沙大将、大黒天や、蔵菩薩が安置されている。
弁天堂 |
方丈池 |
紅葉やイチョウが色づく季節には、朱塗りの弁天堂が水面とよく合う紅葉の名所となっている。 堂内には、音楽などの学芸や知識の女神であるとして広く知られている弁才天(七福神の一つ)が祀られている。 弁天堂は方丈池の向うに醍醐天皇の千年忌を記念して1930年に建立された。 池や滝をあしらえた庭園「林泉」では、池に架けられた朱色の輪橋や弁天堂がアクセントになり、池の脇の桜が春の風情を醸している。
仁王門を潜り真っ直ぐ続く金堂までの参道の両側の林が先だって襲来した台風21号の暴風により大きく薙ぎ倒され荒廃していた。 また、一部の建物にも被害が見受けられたが一月余りで伽藍エリアは公開再開され幸いだった。少額だが霊宝館にあった募金箱に寄付させていただいた。