文明十四年(1482)足利八代将軍義政の山荘として造り始められ、死後、遺言により慈照寺という禅宗の寺となった。
延徳元年(1489)に上棟した銀閣(観音殿)(国宝)は宝形造り二層の楼閣である。
庭の北にある東求堂(国宝)は銀閣とともに当時から残る建物で、内部に四畳半茶室の原型といわれる同仁斎がある。
周囲の庭園は池泉回遊式庭園(特別名勝・特別史跡)で、本堂前の銀沙灘、向月台の二つの砂盛りが有名である。
池を巡る散策路の上奥にある庭園はお茶の井庭園ともいい、昭和六年に発掘した岩石群は枯山水庭園になっている。
寺 名: 臨済宗相国寺派塔頭寺院 東山慈照寺
住 所: 京都市左京区銀閣寺町2
拝 観: 大人500円(東求堂・本堂・弄清亭内部拝観は予約要・別料金)
アクセス : 地下鉄烏丸線「今出川」駅で下車。
市バス「河原町今出川」バス停から203系統「銀閣寺・錦林車庫行き」に乗り「銀閣寺道」バス停で降車。
東へ徒歩約10分。
【履歴】
・2014/10/03(金): 09/29(月)探訪
総門前の石畳の参道 |
総門 |
銀閣寺道から銀閣寺までは参道が続いており、参道の両側には行き交う観光客を誘うお土産を売る店や飲食店が軒を連ねている。 さらに、道路から総門までの参道は綺麗な石畳になっており、街中との隔離に役立っている。
銀閣寺垣 |
中門 |
銀閣寺・総門をくぐり右に折れると切りそろえられた銀閣寺垣が参道を挟んでいる。
銀閣寺垣は総門から中門に至る50mほどの間を高い生け垣で囲ったもので、本来は防衛のために造られたもののようだ。
中門は、薬医門で江戸時代の寛永年間(1624-1644)の建立である。こけら葺で2004年に改築されている。
本堂 |
扁額「東山水上行」 |
板戸絵 |
慈照寺の本堂となる建物で,江戸時代初期,寛永年間(1624〜44)の建築といわれている。
本尊釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)を安置している。
また,内部には江戸時代の俳人・画家与謝蕪村(1716〜83)と画家池大雅(1723〜76)の共作による襖絵があり,これは平成四年,京都市指定文化財となっている。
「東山水上行」は唐の雲門禅師がある僧に「如何なるか是れ諸仏出身の処」と問われ、それに答えた言葉とされている。
銀沙灘 |
向月台 |
本堂(方丈)前の庭は池泉回遊式庭園(特別名勝・特別史跡)だ。この庭園には砂を波形に盛り上げた銀沙灘と円錐型の向月台の二つの有名な砂の造形がある。
向月台の上に座り東山に昇る月を眺めたと言われているが、現在のような形になったのは江戸後期になってからのようだ。
銀閣 |
銀閣寺を代表する建物が銀閣(観音殿)だ。銀閣は2層構造で初層は「心空殿」といわれる住宅風様式を取っている。
上層は「潮音閣」といわれる禅宗様(唐様)の仏堂である。現存する唯一の室町期・東山文化を代表する楼閣庭園建築である。
東求堂 |
銀閣寺形手水鉢 |
東求堂は文明十八年(1486)に完成しており、その後、何回か修復されている。昭和の修復の際の調査では元々の東求堂は違う場所にあったようだ。
政治から逃げ出した義政が晩年、諸芸の達人を集め東山文化の集いを開き、茶道、華道、能などの伝統文化を生み出した場所がこの「東求堂」だった。また、この中にある茶室は日本最古のものである。
平成六年十二月(1994)「古都京都の文化財」として、世界遺産条約に基づく世界文化遺産に登録され、これまでにも増して何時も観光客で賑わっている。
銀閣寺は金閣寺と対比的に語られることが多い。絢爛豪奢な金閣寺に対して、銀閣寺は侘び寂びに通じる"暗愁の具現化"なのだろうかとふと思いが浮かんだ。
出来れば、雪がうっすらと降り積もった早朝にでも再訪してみたいと思わせる処である。