事事関心! 仏閣探訪:
[ 京都市右京区/法金剛院 ]
京都市右京区/法金剛院           2017/09/29(金)新規
探索案内

 JR嵯峨野線「花園」駅で降り、駅前を東西に奔る丸太町通を反対側に渡り西方向へ進むと200mほど先の双ケ丘の東裾に法金剛院はある。
 "蓮の寺"として知られ、夏には世界中から集められた蓮が咲き誇る名所となっている。
 その起源は平安時代の初め、時の右大臣であった清原夏野の山荘に遡ると伝えられている。 夏野の死後、山荘は寺に改められ双丘寺あるいは天安寺と呼ばれたが、10世紀の末に焼失してしまった。 それから150年ほど後に天安寺跡地に鳥羽天皇の中宮であった待賢門院璋子により法金剛院が建立された。 阿弥陀堂などの建物を建立するとともに、滝石組と流れを伴う大池も築き上げ、壮大な伽藍となった。 譲位して上皇となった鳥羽上皇を伴って待賢門院が落慶供養を行ったのは大治五年(1130)のことである。 その後火災に遭い荒廃したが、円覚上人によって再興された。
 庭園(特別名勝)は平安末期の池泉回遊式浄土庭園である。 重文仏像が多数あり、仏殿と地蔵堂にて真近で拝観できる。

寺院: 五位山 法金剛院
宗派: 律宗
本尊: 阿弥陀如来坐像【重要文化財】
開基: 待賢門院璋子(たいけんもんいんたまこ)
開創: 大治五年(1130)
霊場: 京都十三佛第十番霊場、関西花の寺第十三番霊場
拝観: 500円
住所: 京都市右京区花園扇野町49
アクセス: JR嵯峨野線「花園」駅から徒歩3分。

【履歴】
・2017/09/29(金): 09/27探訪

山門

山門


 丸太町通沿いに面して建つ質素な佇まいの門だ。


礼堂(本堂) 



 元和三年(1617)の再建。元は本堂だったらしいが、礼堂背面の建物が本堂(仏殿)とのこと。
 昔、本尊の阿弥陀如来坐像などが安置されていたが現在は仏殿に移されている。元和三年に再建された。

書院

書院玄関


 大正五年((1916)の建築。かって宮川町歌舞練場の正面にあったものらしい。


仏殿

本尊・阿弥陀如来坐像(重文)

十一面観音菩薩坐像(重文)

地蔵菩薩立像(重文)

 礼堂の真後ろに建てられ、霊堂の縁側から渡り廊下でつながれている。 本尊・阿弥陀如来坐像、十一面観世音菩薩座像、等多数の仏像が安置されている。
 本尊・阿弥陀如来坐像は定朝様、平安時代後期の代表的な仏像で、丈六阿弥陀仏(像高224cm)、仏師は院覚で大治五年(1130)の造像である。
 十一面観音菩薩坐像は像高70cm、元応元年(1319)の造像である。菩薩の坐像は珍しく、しかも四手となっている。
 地蔵菩薩立像は像高127cm、一木彫で平安時代の造像である。

青女の滝【国の特別名勝】

青女の滝

待賢院門堀川の歌碑

 昭和四十三年(1968)境内の発掘調査にて上端部のみ顔を出していた滝石組が完全な姿で残っていたことが明らかになった。 そして昭和四十五年(1970)には滝石組や流れの復元とともに、池や植栽の整備が行われ、平安時代の面影を偲ばせる名園が復活した。
 この平安時代末期の浄土式庭園の遺構は日本最古の人工の滝とされ、待賢門院の発願により林賢と静意の作と伝わっている。
 滝の北東側には「ながからむ 心もしらず 黒髪の みだれて今朝は ものをこそ思え」と詠った女流歌人・待賢院門堀川の歌碑が建っている。
 伺ったときは滝を流れ落ちる水はチョロチョロ状態でとても「滝だ!!」とは言えない残念さだった。

待賢門院(たいけんもんいん)

 鳥羽天皇の皇后で名は璋子(あきこ)。父は権大納言藤原公実、母は藤原隆方の娘光子。白河法皇の猶子(ゆうし)となり、入内して鳥羽天皇の女御となった。元永元年(1118)皇后の宣下があって中宮を称した。崇徳、後白河の両天皇の母。天治元年(24)院号宣下。陵墓は京都市右京区花園扇野町の花園西陵。

あとがき

 今回の京都旅行最期の訪問地として訪問した。 残念ながら蓮の花の寺として有名なところだが季節外れのため花は鑑賞できず。池は蓮の葉で覆いつくされ形もわからない状態。 参拝者も自分ら以外一人しかいなかった。なので安置されている仏像をじっくり拝観できた。


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