事事関心! 仏閣探訪
[ 京都市左京区/法然院 ]
京都市左京区/法然院            2014/10/03(金)新規
探訪案内
法然院−境内図

 電車の便は悪いので、バスを利用したアクセスとなる。 阪急「四条河原町」駅より市バス32系統:「銀閣寺前行」に乗り、「南田町」バス停で下車、東側の山に向かって徒歩5分の処に佇んでいる。
 鎌倉時代の初め、専修念佛の元祖法然房源空上人は、鹿ヶ谷の草庵で弟子の安楽・住蓮とともに、念佛三昧の別行を修し、六時礼讃を唱えられた。
 建永元年十二月(1206)、後鳥羽上皇の熊野臨幸の留守中に、院の女房松虫・鈴虫が安楽・住蓮を慕って出家し上皇の逆鱗に触れるという事件が生じ、法然上人は讃岐国へ流罪、安楽・住蓮は死罪となり、その後草庵は久しく荒廃することとなった。 江戸時代初期の延宝八年(1680)、知恩院第三十八世萬無和尚が、元祖法然上人ゆかりの地に念佛道場を建立することを発願し、弟子の忍澂和尚の手で現在の伽藍の基礎が築かれた。そのため正式な寺名は「萬無教寺(ばんぶきょうじ)」と云う。
 浄土宗内の独立した一本山であったが、昭和二十八年(1953)に浄土宗より独立し、単立宗教法人となり現在に至っている。

施設: 善気山 法然院 萬無教寺
宗派: 単立宗教法人
本尊: 阿弥陀如来坐像
住所: 左京区鹿ヶ谷御所ノ段町30
拝観: 無料
   伽藍内、庭園の特別公開(拝観有料)−春(4月1日-7日)、秋(11月1-7日)
アクセス: 阪急「四条河原町」駅より市バス32系統「銀閣寺前行」に乗り「南田町」バス停下車、山に向かって徒歩5分。

【履歴】
・2014/10/03(金): 09/29(月)探訪

山門



 京都唯一の数奇屋造茅葺の山門(茅門)で明治二十年(1887)の建立である。その後再建されたが、再び昭和初期に倒壊し、後復元された。


白砂壇(びゃくさだん)



 山門を入ると、両側に白い盛り砂がある。水を表わす砂壇の間を通ることは、心身を清めて浄域に入ることを意味している。


本堂
(建物の写真撮り忘れ!!)


衝立

 本堂、瓦葺仏殿、拝殿が一棟になっている。客殿造、恵心僧都作というの本尊の阿弥陀如来坐像、法然上人自作立像、観音・勢至両菩薩像、 萬無和尚坐像などが安置されている。江戸時代の天和元年(1681)に建立。元禄元年(1688)に再建され、仏殿と拝殿が別設される。


多層石塔

多層石塔


 この多宝塔は大正十年(1921)の建立。南北朝時代の至徳三年(1386)聖圓阿が引接寺に立てた萬霊塔を模倣拡大しているとのこと。


地蔵堂

地蔵堂

地蔵菩薩立像

 岩室の地蔵堂には、忍澂の等身という「地蔵菩薩立像(洞の地蔵)」(168p)があり、江戸時代の元禄三年(1690)に鋳造られた。 また、歴代の髪が納められていると云う。


講堂

講堂

 もとは元禄七年(1694)建立の大浴室であったが、昭和五十二年(1977)に内部を改装し、現在は講堂として、講演会・個展・コンサートなどに利用されている。
 訪れた時は絵画展が開かれていた。中には「ウーーン!!」と思わず見入るほど技巧が凄いものもあり、連れは主催者と話し込み出したので一人で境内を観てまわった。


経堂

経堂


 「経堂」は、江戸時代の元文二年(1737)の建立である。宝形造で、釈迦如来坐像、右脇侍に毘沙門天、左脇侍に韋駄天像、千体地蔵尊が安置されている。 また、江戸時代の版木も数多く収蔵されている。


あとがき

 銀閣寺の近くにあるにも関わらず足を延ばし訪れる人は少ない。 毎年、春(4/1-7)と秋(11/1-7)に伽藍内特別公開が催されるので、狩野光信の襖絵(重要文化財)・伏見城にあった後西天皇第一皇女誠子内親王の御殿を移築した方丈と庭園など観てみたいものだ。

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