法輪寺はJR山陰本線(嵯峨野線)「嵯峨嵐山」駅下車、府道135号線を南へ進み荒電「嵯峨野」駅手前で右折し府道29号線(宇多野嵐山山田線)に出る。此処で左折し南へ向かい渡月橋を渡り100mほど進むと右手にある(徒歩約20分)。
寺伝によれば、和銅六年(713)、行基が元明天皇の勅願により、五穀豊穣、産業の興隆を祈願する葛井寺(かどのいでら)として建立したとされる。
その後、天長六年(829)、空海の弟子にあたる道昌が、虚空蔵菩薩像を安置。
貞観十六年(874)には伽藍が整えられ、寿号は「葛井寺」から「法輪寺」に改められた。
平安時代には清少納言の「枕草子」の寿の段において、代表的な寺院としてあげられるなど、多数の参詣で隆盛した。
室町時代、応仁の乱により罹災し、江戸時代、後陽成天皇により再建されるが、幕末・元治元年(1864)の禁門の変により、再度罹災している。
寺名: 智福山 虚空蔵法輪寺
宗派: 真言宗五智教団
本尊: 虚空蔵菩薩
創建: 和銅六年(713)[伝]
開基: 行基[伝]、元明天皇(勅願)
住所: 京都府京都市西京区嵐山虚空蔵山町68
アクセス: JR山陰本線「嵯峨嵐山」駅より徒歩20分。
山門 |
道路に面した寺の入口は、枯れ川に架かる石橋と石灯籠が一つあるのみで、辺り一面広葉樹の木々が生い茂っているので一見廃寺か? と思うほどの景色だ。
取りあえず石橋を渡り、奥へと進むと少し先右手に参道が直角に曲がり続いており、更にその先に山門が見えてくる。
山門を抜け、真っ直ぐ続く石段参道を進むと途中左手に電電宮がある。
階段を登り切ったら広い境内が拡がっており、正面に本堂が建っていた。本堂左側の建物は大黒堂。 右手には舞台(展望台)があり、そこからは正面に嵯峨野、右手に京都市街が一望できる。 また、左手には多宝塔、鐘楼がある。
本堂 |
狛牛 |
狛虎 |
幕末の元治元年七月(1864)、蛤御門の変の際、長州藩の浪士が渡月橋を挟んで対岸の天龍寺に集結、十九日の戦闘で法輪寺の建物はことごとく灰燼に帰してしまった。
その後、現在の本堂を明治十七年(1884)に再建し、客殿、玄関、回廊、庫裏、山門等順次竣工、大正三年(1914)に、漸く往事の寺観を復興し今日に至っている。
虚空蔵菩薩が安置されている本堂前の両脇には、虚空蔵菩薩の守り本尊として、右手に寅、左手に牛の石像が安置され、寅年と丑年生まれの方にご利益があるとされている。
また、境内には虚空蔵菩薩が姿を変えたといわれる羊の像がまつられている。
参拝客は羊を触ることにより、智恵を授かるのだそうだ。
多宝塔 |
鐘楼 |
灯籠 |
多宝塔は昭和十七年(1942)の建立。
電電宮 |
電電塔 |
電電宮は、法輪寺の鎮守社五社明神の一つである電電明神が奉祀されており、古来電電陰陽融合光源の徳を祖とした鎮守として崇められてきた。今日で言う電気電波の祖神が祭祀されている。
幕末の兵火で焼失したが、昭和四十四年(1969)電気電波関連業界の発展と繁栄を新たに祈願する趣旨で新社殿が再興された。
参道階段の途中右手にある電電塔は、電気電波の発展の礎を築いたエジソンとヘルツの功を表彰し、先覚功労者の霊を慰めるために建てられたもの。
塔を挟んで、向かって左にヘルツ・右にエジソンのレリーフが飾られている。
京都五山送り火の日(8月16日)には舞台が開放され、多くの見物客が訪れるそうだ。
知恵・芸事・針供養があり、その中でも特に十三参りが有名。知恵参りとも云われ、数え年で13才になった男女が健康を祈願してお参りする。
嵐山の法輪寺では参拝の後、渡月橋を渡りきるまでに後ろを振り返ると知恵が本堂に帰ってしまうという言い伝えがある。