JR京都駅からJR奈良線にて1つ目の駅「東福寺」駅へ移動、改札口を出て駅南側にある高架道路に沿って東の方向に進み、東大路通(府道143号線)に出て、京都第一日赤病院の前を通り、泉涌寺道交差点で泉涌寺道に右折する。
道なりに緩やかな坂道を進むと泉涌寺総門が見えてくる。この門から先は泉涌寺の寺域となるが今熊野観音寺は此の域内にあり、もう暫く進むと左手に今熊野観音寺への分かれ道があり、寺は分かれ道に入りすぐの処にある。
「東福寺」駅から徒歩約20分の距離がある。
弘仁年間(825年頃)に弘法大師が熊野権現の化身から観音霊地の霊示を受け、嵯峨天皇の勅願により観音像を刻んで本尊とし草堂に安置したのが当寺の創始といわれている。
今熊野観音寺は、初め「東山観音寺」と称したが、後白河上皇が永暦元年(1160)、新熊野社を勧請創建された際、改めて新那智山の山号を寄せられ、「今熊野観音寺」と称することになったという。
現在、今熊野観音寺は泉涌寺の塔頭であるが、応仁の乱以前は泉涌寺をしのぐ大寺だったという。
寺名: 新那智山観音寺(別称 今熊野観音寺)
宗派: 真言宗泉涌寺派
本尊: 十一面観世音菩薩
創建: 伝・大同年間(806 - 810)
開山: 伝・弘法大師
札所: 西国三十三所第15番、洛陽三十三所観音霊場第19番
ぼけ封じ近畿十楽観音霊場第1番、泉山七福神巡り第3番(恵比寿)
神仏霊場巡拝の道第122番(京都第42番)
拝観: AM 8:00 - PM 5:00, 拝観料/無料
住所: 京都市東山区泉涌寺山内町32
アクセス: JR奈良線「東福寺」駅より徒歩15分
【履歴】
・2020/10/31(土): 10/27(火)泉涌寺「舎利殿特別公開」のついでに再訪。
・2015/10/01(木): 9/28(月)散策。
鳥居橋 |
山門 |
泉涌寺参道から左に折れて今熊野観音寺に入ると、真っ先に目を引くのがこの赤い橋「鳥居橋」だ。 今熊野観音寺と泉涌寺の間の谷を流れる今熊野川に架かっている。 古くからこの地には熊野権現社が鎮まっていたので、橋の名前の由来となったとも云われている。
子まもり大師像 |
本堂 |
境内を奥に進むと、先ず「子まもり大師像」がある。像は観音寺の開基・弘法大師の姿だ。
そして、「子まもり大師像」の後ろの石段を上がると「本堂」が広場の正面に建っている。
現在の本堂の位置は、かつての奥の院順礼堂にあたると伝えられている。
弘法大師が熊野権現と出会った最も神聖なる場所だ。この建物は、正徳二年(1712)に宗恕祖元律師によって建立されたもの。
本尊は、弘法大師御作と伝えられる十一面観世音菩薩(身丈・一尺八寸)である。
体内仏として熊野権現より授かった、天照大神の御作の十一面観世音菩薩(身丈・一寸八分)が祀られている。
本尊は秘仏とされていて直接拝むことはできない。代わりに同じ姿をされた御前立が立たれている。
脇仏は、智証大師円珍作と伝えられる不動明王と、運慶作と伝えられる毘沙門天である。
そのほかこの本堂には、大聖歓喜天(聖天)、薬師如来、准胝観音、三面大黒天などのほか、京都七福神の祭祀として恵比須神を祀っている。
大師堂 |
ぼけ封じ観音 |
本堂前の広場の東端に当山を開創した弘法大師を祀る「大師堂」があり、その入口階段横には「ぼけ封じ観音」が建てられている。
「大師堂」は当山を開創された弘法大師を祀っている。東山大師と呼ばれ、大師信仰の方々のお詣りが絶えない。
不動明王、愛染明王、また当山の伽藍を寄進建立された左大臣藤原緒嗣の像も祀られている。
鎮守社の南側に建つ。この梵鐘の鋳造は古いが、太平洋戦争のときに供出された。 しかし元のままの姿で残り、現在の位置に戻された。昭和二十一年十月十三日の修理日付が入っている。
三重石塔 |
鎮守:熊野権現社 |
鎮守:稲荷社 |
医聖堂 |
三重石塔は古いだけで何の謂れもなさそう。
熊野権現社は鎮守社として「稲荷社」とならんで鎮座している。
平安の昔、弘法大師空海上人が唐より帰国ほどなくの頃、山中の光明にひかれてこの地に来られ、そこで熊野権現と会われた。
大師に一寸八分の観世音を授けられ、また永くこの地の守護神になると約されたと伝えられている。
稲荷明神と弘法大師との関係はきわめて密接で、大師は東寺の門前に於いて稲を負いたる老人に逢い、これを祀って東寺の鎮守とされた。稲をになっておられたところから稲荷と呼ばれるようになったと言われている。
医聖堂は本堂東側の山上にひときわ高くそびえ立つ平安様式の多宝塔とのこと、この名札はなに?。
最近、コロナ禍により極端に外出することなく心に刺激のない生活が続き、すこしボケ気味に感じたので「ぼけ封じ観音」にお願いをした。 悪くならないといいがねー。