事事関心! 仏閣探訪:
[ 京都市右京区/神護寺 ]
京都市右京区/神護寺            2019/09/28(土)新規
探索案内

 京都駅前からJRバス周山線に乗り約45分、「山城高雄」バス停に到着。此処から神護寺は少し戻った右手にある小路を谷底まで120mほど下り、清滝川に架かる高雄橋を渡ると神護寺の参道だ。 ここから約400段の石段の参道を約15分ほど登った先にある。
 平安遷都の提唱者であり、また新都市造営の推進者として知られる和気清麻呂は、天応元年(781)、国家安泰を祈願し河内に「神願寺」を、またほぼ同じ時期に、山城に私寺として「高雄山寺」を建立した。
 天長元年(824)真綱、仲世の要請により神願寺と高雄山寺を合併し、寺名を「神護国祚真言寺(略して"神護寺")」と改め、一切を空海に付嘱し、それ以後真言宗として今日に伝えている。

寺名: 弘法大師霊場 遺迹本山 高雄山 神護国祚真言寺(通称: 神護寺)
宗派: 高野山真言宗
本尊: 薬師如来立像【国宝】
開基: 和気清麻呂
創建: 天長元年(824)
札所: 西国薬師四十九霊場第44番、仏塔古寺十八尊第7番、神仏霊場巡拝の道第90番(京都第10番)
拝観: 9:00〜16:00 600円
住所: 京都市右京区梅ヶ畑高雄町5
アクセス: JRバス「山城高雄」バス停下車、徒歩20分

【履歴】
・2019/09/28(土): 09/24(火)探訪

楼門



 清滝川畔から参道を登る。まず石の階段を約100m上ると参道は屈曲し、おあつらえ向きに高雄茶屋がある。 自分が登った時にはまだ開店前でシーン!と静まり返っていた。さらに今度は坂を約100m上ると硯石があり、道は90度左に折れる。 ここにもお茶屋の硯石亭だが、こちらも開店前。甘酒で一休みしたいな―。ここで階段の上を見上げるとやっと立派な“楼門”が見える。 さあ、あと約120mの階段で到着だ。




 400段の石段の参道を上りつめて到着の神護寺!。何かちょっとだけ心に響くものがあるな―。 楼門左手に寺の案内所があるので、ここで入山料を支払って境内に足を踏み入れる。
 楼門は、毘沙門堂などと同様、元和九年(1623)の建立とされている。  楼門には両脇に二天像が安置されている。


金堂



 楼門を入って境内奥へ進み五大堂の裏手を横切ると右手に金堂へと続く石段があり、石段を上った広場の奥に金堂がある。
 金堂は、入母屋造、本瓦葺きの本格的な密教仏堂であるが、建築年代は新しく、昭和九年(1934)に実業家山口玄洞の寄進で建てられたものである。
 須弥壇中央の厨子に本尊薬師如来立像(国宝)が安置され、その左右に日光・月光菩薩立像(重文)と十二神将立像、さらに左右端には四天王立像が安置されている。 そして金堂の左脇檀には地蔵菩薩像と弁財天、右脇檀には如意輪観音菩薩と大黒天像がお祀りされていた。

和気公霊廟



 楼門を潜りすぐ右手にある。
 もともと和気清麻呂を祀る神社(護王社)があったが、今は御所の横へ移転している。 そのため、跡地に霊廟をたてて清麻呂を祀っており、和気清麻呂の墓所も裏の山の上にあるそうだ。

鐘楼



 和気公霊廟の先少し高台にヒッソリと佇んでいる。この楼門も鐘楼は、元和九年(1623)の建立である。
 楼上の梵鐘は、貞観十七年(875)に鋳造されたもので国宝に指定されている。 序詞(じょことば)を橘広相、銘文を菅原是善(菅原道真の父)、揮毫は藤原敏行の手による銘文が刻まれている。 序、銘、書のいずれも当代一流の者によることから「三絶の鐘」と称された。日本三名鐘の一つ。


明王堂



 神護寺には、空海の作という不動明王像があったが、天慶二年(939)に平将門の乱が起こると、将門調伏のために下総国へ運ばれ、京都広沢の遍照寺・寛朝僧正を導師として御祈祷がなされたという。
 その後、乱が鎮まると寛朝を開山として成田山新勝寺が建立された。
 現在神護寺に安置されている不動明王像は、平安時代中期頃の作と考えられているが、平将門の乱を鎮めるために下総国へ下った不動明王像との関係は不明。

大師堂【重文】



 柿葺(こけらぶき)の建物で、弘法大師空海が神護寺の前身である高雄山寺にいた時の住坊である「納涼坊」を由諸とする。 堂内には重要文化財である板彫弘法大師像を安置している。


毘沙門堂



 五大堂の南に建つ入母屋造の五間堂である。 金堂が建つ前はこの堂が金堂であり、本尊の薬師如来像もここに安置されていた。 元和九年(1623)の建築。内部の厨子に平安時代の毘沙門天立像(重文)を安置している。


五大堂



 五大堂は金堂へと上る石段の下に建っている入母屋造の三間堂で、平安時代の天長年間(824-834)に淳和天皇の勅願により建立された。なお、現在の建物は京都所司代・板倉勝重により元和九年(1623)に再建されたものだ。 元は講堂だった。
 堂内には五大明王(不動・降三世(こうさんぜ)・軍荼利(ぐんだり)・大威徳(だいいとく)・金剛夜叉(こんごうやしゃ))が安置されているそうだ。


地蔵院



 江戸期に建立された塔頭。明治三十三年(1900)に再興された建物で、本尊の地蔵菩薩像が祀られている。


閼伽井



 閼伽井(あかい)と呼ばれる井戸は、弘法大師が灌頂の浄水として使用するために、大師自ら掘られたと伝えられている。
 残念ながら現在は使用されていないようで水の湧き出しは無くなっているようだ。


「かわらけ」投げ

錦雲渓


 瓦投げは、天長元年(824)、この地にあった高雄山寺と合併して勅願寺としたのが起源だと言われている。
 境内西の地蔵院前の展望広場から清滝川の谷(錦雲渓)に向けて「かわらけ」と呼ばれる素焼きの円盤(釉薬を使わない土器製の盃)を投げて厄除けとする。
 展望台から谷間を覗くと怖くなるほどの急峻な落ち込みに、「なるほど!!」、うまく投げると川まで届きそうだ。
 茶屋のおばさんとアイスコーヒーを戴きながら暫し雑談。「楼門前の参道を掃除していたおじさんに挨拶したら、今日は一番乗りだよ!!と声掛けされた。観光客の出足は遅い?」、「10時過ぎないとねー、山奥だからね」、「あのおじさん、実は兄妹なのよ、...」、話は弾んだ...。

あとがき

 神護寺も一番乗りを狙い伺うと、境内は何処もひっそりとしており、心も落ち着き仏に向き合うにはもってこいだ。是非お勧めする。
 寺の境内を出て帰るときには途中にある茶屋「硯石亭」も開いていた。寺でコーヒー飲んできたので甘酒はお預けとした。


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