事事関心! 仏閣探訪:
[ 京都市東山区/建仁寺 ]
京都市東山区/建仁寺            2014/10/03(金)新規
探訪案内

 建仁寺は建仁二年(1202)将軍源頼家が寺域を寄進し栄西禅師を開山として宋国百丈山を模して建立された寺院で、臨済宗建仁寺派の大本山である。
 創建当時は天台・密教・禅の三宗兼学だったが、第十一世蘭渓道隆の時から純粋な臨済禅の道場となった。 その後、荒廃するも、ようやく天正年間(1573−1592)に安国寺恵瓊が方丈や仏殿を移築し復興。 徳川幕府の保護のもと堂塔が再建修築され制度や学問が整備された。 明治に入り政府の宗教政策等により臨済宗建仁寺派としての分派独立、建仁寺はその大本山となった。

寺名: 東山 建仁禅寺
宗派: 臨済宗建仁寺派 大本山
本尊: 釈迦如来
開山: 栄西禅師
拝観: 一般 500円(方丈・法堂)
住所: 京都市東山区大和大路通四条下る四丁目小松町584
交通: 京阪電鉄「祇園四条」駅より徒歩7分。

【履歴】
・2014/10/03(金): 09/28(金)探訪。

勅使門【重文】

勅使門

 寺の南側正面、八坂通りに面して建つ銅板葺切妻造の四脚門で鎌倉時代後期の遺構である。 柱や扉に戦乱の矢の痕があることから「矢の根門」または「矢立門」と呼ばれていた。 元来、平清盛の六波羅邸の門、あるいは平教盛の館門を移建したと云われている。


三門

望闕楼(三門)

 「望闕楼」(ぼうけつろう)の別称がある。 静岡県浜松市(旧浜名郡雄踏町)の安寧寺から1923年に移築したもので、江戸時代末期の建築である。 空門・無相門・無作門の三解脱門。「御所を望む楼閣」という意味で「望闕楼」と名づけられた。 楼上には釈迦如来、迦葉・阿難両尊者と十六羅漢が祀られている。


法堂

法堂(桁行五間、裳階付のため正面の柱間は七間)

 仏殿(本尊を安置する堂)と法堂(はっとう、講堂にあたる)を兼ねている。 「拈華堂」(ねんげどう)と呼ばれ、明和二年(1765)に建立された中国宋の建築様式で禅宗様の仏殿建築である。 この法堂は江戸時代の再建であるが桁行五間があり、創建当時の五山仏堂の面影が偲ばれる。(五山級の仏殿は桁行が五間(裳階部は七間)であった。)



本尊釈迦如来坐像


「双龍図」(小泉淳)

 正面須弥壇には本尊釈迦如来坐像と脇侍迦葉尊者・阿難尊者が祀られている。 平成十四年(2002)創建800年を記念して天井に小泉淳作により双龍の絵が描かれた。(小泉淳作は、鎌倉建長寺の法堂の「雲龍図」も手掛けている。)
 五本指で玉を掴む龍に注目!。五本指は最も位の高い龍とされているのだ。

本坊


 拝観する場合、ここから建物に入り、方丈、大書院、小書院、法堂やいくつかの庭園を鑑賞できる。


方丈【重文】

 慶長四年(1599)恵瓊が安芸の安国寺から移建したもので、優美な銅板葺の屋根が印象的な禅宗方丈建築である。 東側に設けられた大玄関を介して本坊と連結する。 本尊は東福門院寄進の十一面観音菩薩像である。



大雄苑(方丈の前庭)

大雄苑

○△□乃庭

大雄苑:
 白砂に縁苔と巨岩を配した「大雄苑」と称される枯山水の前庭は、大らかな味わいがある。
○△□乃庭:
 ○△□という3つの図形は、宇宙の根源的な形態を示し、禅宗の四大思想(地水火風)を地(□)水(○)火(△)で、象徴したものと云われている。


「風神雷神図」(俵屋宗達)【国宝】(レプリカ)

「風神雷神」書

 「風神雷神図」は十七世紀初頭に描かれた俵屋宗達の最高傑作である。風神と雷神を屏風の左右の枠を越えて配置した大胆な構図と巧みな余白の使い方、金などで鮮やかな色彩で描かれている。





浴室

浴室

 寛永五年(1628)三江和尚(諱紹益)により建立された。 七堂伽藍の一つで、内部は待合・浴室・土間(火炊場)に三分されている。 湯気で体を温める蒸し風呂で、禅寺では入浴も修行の大切な部分として、厳しい作法が細かく定められていた。


あとがき

 建仁寺は、一昨年、昨年と二年続けて東山区を探索したが、何故か訪れていなかった処。今回、五条に宿をとったこともあり、真っ先に拝観に出掛けた。
 建仁寺は観光客でごった返す祇園に隣接しているのに何故かそんなに混み合ってはいなかった。 だが、次に訪れた安井金比羅宮で数百人もの行列に遭遇し、若者の関心事は年老いた私たちとは違うところにあることが良く分かった。

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