事事関心! 仏閣探訪:
[ 京都市下京区/興正寺 ]
京都市下京区/興正寺            2019/09/28(土)新規
探訪案内

 JR京都駅の中央口を出て駅前の塩小路通を西へ堀川通まで進み、右折し堀川七条交差点まで北上すると斜向かいにある。
 親鸞聖人を開山として、その法脈を相承する真宗興正派の本山である。 承元元年(1205)の念仏停止により、親鸞聖人は越後に配流されたが、寺伝によれば、その翌建暦二年(1212)越後から京都に帰られ、山城郡山科の郷に一字を創建し、"興正寺"と名づけた。 その後、聖人は阿弥陀仏の本願をひろめるため関東行化に旅立たれた。 次いで、順徳天皇より「興隆正法」の勅願を賜り、真宗念仏宣布の根本法城となった。

寺名: 円頓山 興正寺
宗派: 真宗興正派
宗祖: 見真大師親鸞聖人
本尊: 阿弥陀如来(南無阿弥陀仏)
住所: 京都市下京区七条上ル花園町70
アクセス: 京都駅より徒歩10分

【履歴】
・2019/09/28(土): 09/23(月)探訪

三門(さんもん)


 御影堂の前に位置する二階建ての楼門である。三門とは空・無相・無願を経て涅槃に至る門、三解脱門を表している。 三つに仕切られた入り口があり、門扉には牡丹唐草に抱牡丹紋の彫刻が施されている。 明治四十五年(1912)の宗祖650回大遠忌を期して建立された。


阿弥陀堂門


 阿弥陀堂の正面に位置する興正寺の正門。三門より小振りだが、本堂前にふさわしい四脚門の格調高い様式となっており、門扉には牡丹唐草、柱には龍の彫刻が施されている。 明治四十五年(1912)の宗祖650回大遠忌を期して再建された。


阿弥陀堂


 本瓦葺二重入母屋造の興正寺の本堂で、中央に本尊の阿弥陀如来の木像を安置しています。左右にはインド、中国、日本の七高僧と聖徳太子の影像を安置している。明治三十五年(1902)十一月二十九日、それまでの本堂であった「ひとつ御堂」が焼失した。現在の本堂は明治四十五年(1912)の宗祖650回大遠忌を経て、大正四年(1915)に再建されたもの。


御影堂(ごえいどう)


 復興工事中!(2019/09/23)。
 明治三十五年(1902)に焼失した本堂の再建に際し、両堂様式の御影堂が懇望され、新たに本瓦葺入母屋造の御影堂が建立されることになった。十年の歳月をかけ、明治四十五年(1912)の宗祖650回大遠忌を期して完成した。


経蔵



 経蔵は嘉永元年(1848)の竣工。孝明天皇より「法宝蔵」の勅額が下賜された。 額字は右大臣近衛忠熈公の筆。経蔵に勅額の下賜されたのは異例のことである。
 初層は唐破風付白壁土蔵造、二層は唐破風付楼造、屋根は宝形造となっている。中には経・律・論のすべてを収録した一切経が納められている。

鐘楼


 鐘楼は境内東南のすみにあり安永三年(1774)、皇太后恭礼門院が先帝桃園天皇の忌に当たり、梵鐘と共に寄進されたもので、鐘楼に階層を設けているのは特別に許されたものである。


あとがき

 すぐ隣の西本願寺にはお参りに来ていても、どうゆう訳か足が向いていなかった。今回やっと訪問出来た。


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