鴨川と高野川が合流する三角州、鴨川に架かる出町橋の西詰、青竜町に「出町妙音堂」はある。
正式には「青龍妙音弁財天」という。「妙音堂」、「妙音弁財天」、「伏見御所の弁財天」ともいわれる。
相国寺の塔頭・大光明寺の飛地境内になる。
六角堂には弘法大師筆と伝える妙音弁財天の画像が祀られている。
この画像は北朝の崇光天皇から皇子で伏見宮家の始祖となる栄仁(よしひと)親王へ伝えられ、伏見殿内に建立されたのが始まりである。
江戸時代になって十四代貞建(さだたけ)親王の時、宮家の移転により河原町今出川下る東側に遷座した。
十八代貞敬(さだよし)親王によって邸内が一新された。妙音堂も改築され、庶民の参拝も許されるようになった。
明治になり一旦東京の宮邸へ移されるが、明治三十四年、地元の人々の請願により旧宮邸に近い現在の地に鎮座された。
寺名: 出町妙音堂(青龍妙音弁財天)
宗派: 臨済宗相国寺派
創建: 嘉元四年(1306)
札所: 京都七福神(弁財天)
拝観: 無料
住所: 京都市上京区桝形通出町東入青龍町
交通: 京阪電車「出町柳」駅下車、徒歩約3分
【履歴】
2023/12/31(日): 10/05(火)拝観。
山門 |
本堂 |
本尊:青龍妙音弁財天 |
鎌倉時代、左大臣・西園寺公衡の娘・寧子(ねいし)が女御として持明院統の後伏見上皇の後宮に入った。
その際、西園寺家第二伝の青龍妙音弁財天画像を念持仏として持参したのが現在の本尊である。
南北朝時代、本尊は伏見離宮内に祀られ、北朝の光厳、光明、崇光天皇らに崇敬されてきた。
通称「妙音弁財天さま」と呼ばれており、京都七福神の一つとして、技芸上達・福徳円満の勝益をもたらす神様である。
本堂には弁財天像、本堂裏にある六角堂に弘法大師作の本尊:妙音弁財天画像の掛け軸が祀られ、六角堂の周囲を年の数だけ回ると願いが叶うと伝えられている。
真言密教では、稲荷神をインド伝来の鬼神・ダキニテン(陀枳尼天)と同一であるとしている。
稲荷は二つに分類される。五穀と養蚕を司る穀物神・農耕神としてのウカノミタマ(宇迦之御魂・倉稲御魂)で稲荷明神として知られている。このお稲荷さん(稲荷神)は、京都の伏見稲荷大社が信仰の発祥神社で、一般に伏見稲荷として知られ、全国三万余りの社の総本社となっている。この社と合わせ、佐賀・祐徳稲荷大社、茨城・笠間稲荷神社を日本三大稲荷と呼ぶ。
もう一つは神社ではないが、愛知・豊川稲荷(正式名は円福山妙厳寺・曹洞宗)の本尊は千手観音だが仏教のダキニシンテンを稲荷神として祀つる(江戸の名奉行・大岡越前守が信仰したことで知られる)。
開山の東海義易の師寒厳義尹に始まる話、義尹が宋から帰朝するときに、突如として陀枳尼天が現れて「以後、義尹を守護する」と告げた。それに感激した義尹は陀枳尼天を自刻し、妙厳寺の山門に鎮守として安置したという。
開山時には、さまざまな奇跡を起こして便宜をはかったといわれる。
前回垣間見たが参拝してなかったので、今回参拝した。