JR「京都」駅から市営地下鉄鳥丸線「国際会館行」に乗り、「鳥丸御池」駅で東西線「六地蔵行」に乗り換える。
「蹴上」駅で下車、地上に出て三条通りを少し北に進むと、右手にインクラインの下を通る赤レンガ造りのトンネル「ねじりまんぽ」がある。
このトンネルをくぐって、金地院などの塔頭のある参道を300mほど歩くと南禅寺中門に至る。
南禅寺は禅宗の臨済宗南禅寺派の大本山である。亀山天皇は文永元年(1264)山水明媚の当地を愛され離宮禅林寺殿を営まれた。その後、当寺の開山仏心大明国師に深く帰依し法皇となられ、正応四年(1291)離宮を施捨し禅寺とした。
寺名: 大本山 南禅寺
宗派: 臨済宗南禅寺派
本尊: 釈迦牟尼仏
創建: 正応四年(1291)
開山: 無関普門禅師(大明国師)
住所: 左京区南禅寺福地町
拝観: 無料(三門、方丈は有料)
交通: 京都市営地下鉄東西線「蹴上駅」下車、徒歩10分
日本遺産の琵琶湖疏水にある蹴上インクラインの下を通り、南禅寺に向かう歩行者用トンネルでらせん状にレンガが積まれており、渦を巻いているように見える。
ねじれたまんぽ(鉄道のしたを潜るトンネル)という意味で「ねじりまんぽ」と呼ばれている。
【履歴】
・2013/10/06(日): 09/30(月)探訪
勅使門【重文】 |
中門 |
勅使門は、寛永18年(1641)明正天皇より、御所にあった「日の御門」を拝領したもの。古くは天皇や勅使の来山の折に限って開かれる門だった。現代では住持の晋山に限って開かれる。
その勅使門の南にある中門は、慶長六年(1601)松井康之より、伏見城松井邸の門を勅使門として寄進されたもの。日の御門の拝領に伴い現地に移建された。幕末までは脇門と呼ばれていた。
三門【重文】 |
三門楼上から京都市街を望む |
5間3戸の荘厳な構えの三門は高さ22m。別名「天下龍門」と呼ばれ、日本三大門の一つに数えられる。開創当時のものは永仁三年西園寺實兼の寄進で建立され、応安年間に新三門に改築されたが、文安四年の火災で焼失した。
現在の門は寛永五年(1628)、大坂夏の陣に倒れた戦没者を弔うため、藤堂高虎が再建したもの。
楼右側の山廊から五鳳楼といわれる楼上に登れる(有料)。楼上には薄暗い室内を覗くと宝冠釈迦坐像と十六羅漢が安置されていた。
五鳳楼からの京都市街の眺めは歌舞伎「楼門五三桐」の石川五右衛門の名台詞「絶景かな-!、絶景かな-!」で有名だ。
森永湛堂老子自筆の句碑 |
三門を潜り法堂へ延びる石畳の参道を進むとすぐ右手に大きな石の歌碑が置かれている。
『この門を入れば 涼風おのづから / 杉洞』
森永湛堂老子自筆の句だ。
三門を入り正面に建っている伽藍が法堂。
法堂は、法式行事や公式の法要が行われる場所であり、南禅寺の中心となる建物である。
創建当時のものは、応仁、文明の乱で焼失したが、文明十一年(1479)頃に復興された。
その後、慶長十一年(1606)豊臣秀頼の寄進により大改築されたが、明治二十六年(1893)の火災によって焼失した。
現在の法堂は明治四十二年(1909)に再建されたもので、内部の須弥壇上中央に本尊釈迦如来、右側に獅子に騎る文殊菩薩、左側に象に騎る普賢菩薩の三尊像を安置し、床は一面の敷瓦となっている。
屋根は林立する巨大な欅の円柱に支えられ、天井には今尾景年画伯畢生の大作と云われる幡龍が描かれている。
庫裡 |
「寒山拾徳像」 |
「龍吟虎嘯」 |
本坊は、南禅寺の勅使門、山門、法堂の軸線上の東端に建てられている。
建物は南側より庫裏、大玄関、大方丈と小方丈そして裏側に座禅や講演会の行われる龍渕閣(りょうえんかく)と茶室不識庵・窮心亭が並ぶ。
拝観は庫裏から入り、大玄関を通り、まず方丈前の庭園越しに方丈を見ることとなる。
寒山と拾得は、中国唐代(九世紀頃)の隠者で詩人。現世の愚劣さや堕落した僧侶道士を痛罵した。ともに強固な自己疎外者としての矜持を語っているという。
「龍吟虎嘯」とは、「龍が吟ずれば雲が起こり、虎が嘯けば風が生まれる」、すなわち「同じ考えや心をもった者は、相手の言動に気持ちが通じ合い、互いに相応じ合うということ」。
方丈【国宝】 |
方丈庭園【名勝】 |
方丈は大方丈と小方丈がL字型に組み合わされている。大方丈の南面は方丈前庭に面している。
大方丈の南面は方丈前庭に面し、こけら葺屋根を持つ。天正年間(1573〜1593)に豊臣秀吉により寄進された御所の清涼殿を、慶長十六年(1611)後陽成天皇より拝領移築したもの。小方丈のほうも伏見城の小書院を移築したものだ。
方丈庭園は小堀遠州作と伝えられ、江戸時代初期の代表的枯山水庭園。
南部から西部にかけて5本の定規線を配した薄青色の筋塀(築地塀)を巡らし、東西に細長い地形に作庭されている。
石組はこの筋塀に添って配置されており、大きな石組を方丈側から見て左奥に配し、前方と右手には、白砂の広い空間を残している。
また巨大な石を横に寝かして配置する手法は、須弥山・蓬莱山などの仏教的世界観などを表現した庭園から脱した構成であり、俗に「虎の子渡し」の庭と呼ばれている。
昭和二十六年に国指定の名勝となった。
小方丈庭園 |
小方丈庭園は別名「如心庭」と呼ばれる。昭和四十一年に当時の管長柴山全慶老師が「心を表現せよ」と自ら熱心に指示・指導し作庭した。 その名のごとく、「心」字形に庭石を配した枯山水の石庭で、解脱した心の如く、落ち着いた雰囲気の禅庭園となっている。
六道庭 |
六道庭は小方丈庭園が解脱した心の庭であるのに対し、六道輪廻の戒めの庭と云う。 六道輪廻とは、天上・人間・修羅・畜生・餓鬼・地獄の六つの世界を我々は生まれ変わり続けるという仏教の世界観のこと。
南禅寺の境内に立つエキゾチックなレンガ造りの疎水橋は「水路閣」と呼ばれている。
明治二十一年(1888)に建設され、美しいアーチを描く全長93mの橋は、琵琶湖疏水設計者の田辺朔郎が設計した。
古代ローマの水道橋が手本となっている。
水路閣は現在でも水を運ぶ疎水として活躍している。
三門に登れるとわかり嬉しさ倍増で、その後の本坊観覧の印象が薄いものになってしまった。