事事関心! 仏閣探訪:
[ 京都市右京区/龍安寺 ]
京都市右京区/龍安寺【世界遺産】           2015/10/10(土)新規
探索案内

 宝徳二年(1450)、細川勝元が徳大寺家の山荘を譲り受け、妙心寺の義天玄承を招いて建立したといわれるのが現在の龍安寺である。
 寺は応仁の乱で焼失したが、直ちに再建、整備に努め、江戸時代には塔頭は21もあった大寺だったという。 その後、寛政九年(1797)の火災により、多くの建物を失ったといわれている。 現在、塔頭の数は多くはなく、江戸時代に見られたといわれるような大寺の感じはない。
 方丈南側の枯山水庭園(史跡・特別名勝)が「石庭」として名高い。

施設: 大運山 龍安寺
宗派: 臨済宗妙心寺派
本尊: 釈迦如来
創建: 宝徳二年(1450)
開基: 細川勝元
住所: 京都市右京区龍安寺御陵下町13
アクセス: 京福電車「龍安寺道」駅下車、徒歩7分。

【履歴】
・2016/10/09(日): 09/26(月)探訪

山門

山門_1

山門_2

 山門_1を潜り参道を進むと「きぬかけの路」を隔てて第二の山門_2があり、その手前に参拝受付所がある。
 山門_2が建てられたのは、江戸時代中期とされている。1755年に洪水で壊れてしまい、現在のものはその後に再建されたもの。

庫裡・勅使門


勅使門 [重要文化財]

庫裡上り口の衝立

 本来の龍安寺の勅使門は火災で焼失してしまったため、現在の勅使門は西源院の唐門を移築したもの。


方丈と石庭

方丈の襖絵

方丈の襖絵

方丈の襖絵

 現在の襖絵は昭和三十年頃に皐月鶴翁によって描かれたもの。 本来は狩野派の襖絵があったが、明治初期の廃仏毀釈の影響によって寺から出て散逸してしまった。 当時東本願寺などに売却後、個人の手に渡るなどして散逸していたが一部はシアトル美術館などが所有していた。 その後襖絵が米国のオークションに出品され龍安寺が落札し、2010年に115年ぶりに襖絵六面が龍安寺に戻った。


方丈庭園【国の史跡及び特別名勝】

石庭のミニチュア

 龍安寺の石庭は二方を油土塀で囲み、東西30m、南北10m余りの長方形の白砂の庭に15個の石を5・2・3・2・3と一見無造作に点在させたシンプルな庭園だ。 これは一般に、「虎の子渡し」の名で知られている。
 枯山水の庭園の作者は諸説あり、開山の義天玄詔、開基の細川勝元、室町幕府に仕えていた絵師・相阿弥などと言われている。

蹲踞

蹲踞

庭園

 銭形をした蹲踞(手水鉢)が方丈の廊下から観られる。中央の水穴を口の字に見立てると「吾れ、唯だ、足ることを知る」と読める。 これは釈迦が説いた「知足の心」を図案化したもので、徳川光圀が寄進したものと云われている。(これはレプリカで本物は非公開の「蔵六庵」という茶室に置かれている)

鏡容池【国の名勝】


 山門から庫裡へ向かって足を進めると、道の左手に木立の間から一部ではあるがハスが生い茂る鏡容池が目に入ってくる。
 この池は、江戸時代中期の1780年に刊行された「都名所図会(みやこめいしょずえ)」にも紹介されている。 図会によると、かつてはオシドリの名所であり、鏡容池を中心とする回遊式庭園のほうが石庭よりも有名だったようだ。
 現在も、白鷺などの鳥が水面に浮かぶ伏虎島で羽を休めている様子を見ることができる。 また、別の島には寺内にもかかわらず、弁財天の鳥居が立っている。この島は弁天島といい、豊臣秀吉が鏡容池には霊力があると礼拝した弁財天を祀っている。

あとがき

 龍安寺は国内の観光客はもとより、海外からの観光客にも大人気だ。伺った際も石庭前の縁側はびっしりと石庭を眺める人で一杯だった。


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