事事関心! 仏閣探訪:
[ 京都市上京区/石像寺 ]
京都市上京区/石像寺            2019/09/28(土)新規
探索案内

 千本今出川交差点から千本通を北上し2つ目の四つ角の上立売通との交差点先右手にある。
 弘仁十年(819)弘法大師(空海)が唐より持ち帰った石から石像を彫り、人びとを苦しみから救おうと「苦抜(くぬき)地蔵」と名づけたが、後年「釘抜地蔵」と呼ばれるようになった。
 当初は真言宗の寺院だったが、鎌倉時代初めに重源上人が荒廃していた当寺を復興して浄土宗とした。

寺名: 家隆山 光明遍照院 石像寺(通称: 釘抜地蔵)
宗派: 浄土宗
本尊: 釘抜地蔵尊
住所: 上京区千本通上立売上ル花車町503
アクセス: 京都市バス「千本上立売」バス停にて下車、千本通を北へ徒歩3分

【履歴】
・2019/09/28(土): 09/24(火)探訪

山門


 山門は二重になっている。きっと昔は大きな境内を持つ寺院だったのだろう。


本堂(地蔵堂)

本堂

本堂の壁面(裏手)

 空海が彫ったという苦抜き菩薩が安置されている。堂の奥のほうに安置されているためか、お堂の裏側にも小さい参拝口がある。 また、お堂はお礼参りの八寸釘と釘抜を貼り付けた奉納絵馬でびっしり埋め尽くされている。
 本堂の前の釘抜モニュメントは、昭和三十九年(1964ョに、日本画家・堂本印象(1891-1975)が母の回復祈願のために奉納されたもの。


釘抜き地蔵伝説

 室町時代、京都に紀伊国屋道林という商人がいた。 この道林、ある日突然両手に激痛が走った。針で刺されたような鋭い傷みは、一向に治まらない。 何人もの医者に診てもらうが、薬石もまったく効果がない。 道林は、激痛に苦しみながら、最後の神頼みと、この石像寺に七日間の願掛けをした。
 そして満願の日、転寝していると夢の中に地蔵尊が現れた。 その御手には八寸釘が二本握られ、こうお告げになった。
「汝の前世において、人を恨んで人形を作り、八寸釘を打ち込んだ罪科によるものだ。 だが、汝の一心の祈願をもって前世の罪は消滅した」
 地蔵尊が去ると同時に、夢から醒めた道林は、いつの間にか手の痛みが嘘のように消えていることに気付いた。 喜んだ道林は、すぐに石像寺に駆けつけたが、地蔵尊の前には血に染まった二本の八寸釘があったという。 道林は、その血染めの釘を供養し、お地蔵様への感謝を込めて100日間お参りしたという。
 この噂は瞬く間に京の町々に広がり、釘抜地蔵様として崇められて信仰されるようになったという。

開山大師堂(観音堂)



 弘法大師、観音菩薩を祀る。 また、弘法大師の後ろに、行基作という「藤掛(ふじかけ)観音菩薩」が祀られている。


石仏

鎌倉時代作の石像阿弥陀如来【重文】

 本堂裏手には小さな石仏達と共に石像弥陀三尊像(重美)、中央に阿弥陀如来坐像、右に観音立像。 左に合掌する勢至立像が祀られている。
 銘によると元仁二年(1225)に完成したもので、一つの石(花崗岩)から掘り出した石仏としては日本最古と云われている。


あとがき

 ここは小さな寺院だが、お年寄りの参拝者が数多く訪れていた。
 体や心の痛みを治癒に願をかける人が絶えず訪れるようで、苦しみが無くなった人は2本の八寸釘と釘抜を貼り付けた絵馬を奉納する習わしとなっていることもあり、本堂の周りはびっしりと全体が絵馬で埋まっている。 凄いご利益なんだねー。


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