事事関心! 仏閣探訪:
[ 京都市東山区/御寺・泉涌寺 ]
京都市東山区/御寺・泉涌寺          2020/10/31(土)更新
探訪案内 

 御寺泉涌寺の最寄りの電車駅はJR京都駅からJR奈良線で一駅の「東福寺」駅になる。 ここで下車し、駅前の通りを少し南側へ歩くと高架の九条通が奔っているが、その側道へ左折し九条通に出る。 そのまま九条通を東へ「泉涌寺道」交差点まで進む。ここで右折し緩やかな登り道となっている泉涌寺道を行くこと約10分で泉涌寺に到着する。
 泉涌寺は東山三十六峯の一嶺、月輪山の麓に佇み、皇室の菩提所として、また諸宗兼学の道場として、壮麗な堂宇が甍を連ね、幽閑脱俗の仙境、清浄無垢の法城となっている。 皇室の菩提所となっていることから「御寺」とも呼ばれる。
 天長年間(824〜834)弘法大師がこの地に草庵を結び、法輪寺と名付けられたことに由来し、後に仙遊寺と改名された。 建保六年(1218)に、当寺が開山と仰ぐ月輪大師・"しゅんじょう"が宇都宮信房からこの聖地の寄進を受け、宋の法式を取り入れた大伽藍の造営を志し、嘉禄二年(1226)に主要伽藍の完成をみた。 その時、寺地の一角から清水が涌き出たことから寺名を「泉涌寺」と改めた。

寺名: 総本山 御寺 泉涌寺
宗派: 真言宗泉涌寺派
本尊: 釈迦如来、阿弥陀如来、弥勒如来の三世仏
創建: 伝・斉衡三年(856)
開山: 伝・神修
住所: 京都市東山区泉涌寺山内町27
拝観: 伽藍拝観(500円)、特別拝観(300円)、
   京都非公開文化財特別公開(舎利殿: 1,000円)[令和二年 10/10(土) - 10/31(土)]
札所: 真言宗十八本山
   洛陽三十三所観音霊場        京都十三仏霊場
交通: JR奈良線「東福寺」駅より東へ徒歩15分(約600m)

【履歴】
・2020/10/31(土): 10/28(水)京都非公開文化財特別公開で再訪。
・2015/10/01(木): 09/27(日)拝観。

総門、大門

総門

大門【重文】

 JR奈良線「東福寺」駅で下車し、駅前の道を北へ少し歩くと瀧尾神社がある。神社手前の道に右折し道なりに進み東大路通に出る。 左手の交叉点で道の向かい側に渡ると「泉涌寺道」が山の方へ奔っているので、更に東へ約300mの歩くこと7分、泉涌寺の総門が現れる。総門をくぐり、境内のなだらかな登り坂の参道を進むと、暫くして重要文化財に指定されている大門に至る。
 大門は、京都御所内裏の門を移築したものである。徳川家康が御所を再建した時に旧門の部材を移築して作ったものだ。

仏殿【重文】

仏殿

三世仏(Web借用)

 大門から下り坂の参道の正面に建つ仏殿は、寛文八年(1668)徳川四代将軍家綱によって再建されたものだ。なお、現在ある伽藍の多くもこの時整備された。 仏殿は一重もこし付入母屋造り本瓦葺き、唐様建築の代表作で、国の重要文化財である。
 内陣には向かって左から伝運慶作の阿弥陀・釈迦・弥勒の三世仏が安置されている。また、天井の龍の図と本尊背後の白衣観音図は狩野探幽の筆による。 更に、堂内の左右奥には、祖師堂と土地堂が配されている。
(令和二年度京都非公開文化財特別公開[10/10(土) - 10/31(土)]でも内部拝観出来た)

舎利殿【京都府指定文化財】

舎利殿(正面)

蟠龍図(狩野山雪作)

 舎利殿は、釈迦の仏牙舎利を奉安する貴重な霊殿である。 慶長年間、京都御所の建物を移築改装したもので、仏殿と同時代に現在の位置に移された。


 内陣は壇上に宝塔を安置、そこには開山"しゅんじょう"律師が熱願された舎利を、弟子の湛海律師が安貞二年(1228)に宋朝より将来し祀られてたものが安置されている。 現在同時に将来された韋駄天像・月蓋(がつがい)長者像(共に【重文】)が舎利を守る形で共に内陣に奉祀されている。 天井には狩野山雪作の『蟠龍図』、通称「鳴き龍」が描かれている。
 舎利殿は通常、非公開となっているが、12年に1度、辰年の歳に特別御開帳される。
(令和二年度京都非公開文化財特別公開[10/10(土) - 10/31(土)]でも公開された)

本坊



 泉涌寺本坊は、霊明殿、御座所そして海会堂の3つの建物とそれらをつなぐ御座所庭園によって構成されている。


霊明殿



 霊明殿は舎利殿の裏側にある。現在の霊明殿は、明治十五年(1882)10月炎上の後、同十七年明治天皇によって再建された尊牌殿で、入母屋造り桧皮葺き、外観は宸殿風の建物である。すべて尾州桧材で造られ、殿内西廂は板間。殿内は内陣・中陣・外陣に分かれ、内陣は五室の宮殿造りとなっている。

御座所



 御座所は本坊から特別拝観(300円)で入ることができる。幾つもの部屋があり、多数の襖絵が見られる。
 明治十五年(1882)霊明殿炎上とともに、庫裡・書院も焼失したため、明治天皇は、霊明殿の再建と併行して京都御所内にある皇后宮の御里御殿を移築した。 この建物は文化十五年(1818)に造営されたものである。
 御殿は西に御車寄があり、これに続く一棟は六室に別れている。南側は西から侍従の間、勅使の間、玉座の間、北側は西から女官の間、門跡の間、皇族の間と呼んでいる。

御座所庭園

庭園

 御座所の東南から御殿の南側にかけて、小さな御庭が築かれている。 霊明殿・御座所・海会堂そして御陵拝所に取囲まれた御庭は、小さいながらも無比の環境の中に自然と人工の巧の業を織りまぜている。 低い築山の裾に曲折する池の汀、ひかえめに咲くさつき、真紅の紅葉、薄すらと雪化粧した雪見灯篭に映える梅もどき等々、四季折々に楽しませてくれる。


月輪陵



 霊明殿の東に鎮まる陵墓は月輪陵(つきのわみさぎ)と呼ばれる。 四条天皇をはじめ後水尾天皇から仁孝天皇までの25陵、5灰塚、9墓が営まれている。 ここに鎮まる方々の御葬儀は泉山長老が御導師をお勤め申しあげ、御陵もすべて仏式の御石塔でお祀りされている。


浴室



 寛永の再建期の建物。 現在は、泉涌水の西に建てられているが、寛永の再建時には、仏殿の北にあった。 明治三十年(1897に現在地に移築されている。


泉涌水屋形【京都府指定文化財】


 浴室の東南山裾には寺名の起源となった名泉が、今も尽きることなく涌き出ている。 それを覆う屋形は、仏殿と同じ寛文期の建物である。


楊貴妃観音堂

観音堂

楊貴妃観音像【重文】

 大門を入るとすぐ左手に楊貴妃観音堂がある。
 堂内、六羅漢像の中央に安置される楊貴妃観音像は寛喜二年(1230)湛海律師により当寺に月蓋長者像などとともに請来された像である。
 像容の美しさから、玄宗皇帝が亡き楊貴妃の冥福を祈って造顕された像との伝承を生み、「楊貴妃観音」と呼ばれてきた。

あとがき

 瀧尾神社の神幸祭にぶつかり拝観時間が予定よりも大きく押していたこともあり、すこし足早に巡った。 約一時間の拝観後は神幸祭の行列がこの泉涌寺へと来るので、大門下で待ち合わせ鑑賞した。
 今回(2020/10/28)は仏殿と舎利殿の内部を拝観した。


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