事事関心! 仏閣探訪:
[ 京都市中京区/神泉苑 ]
京都市中京区/神泉苑            2024/01/03(水)新規
探訪案内

 地下鉄東西線「二条城前」駅で降り出入口3番から地上に出て左折し、御池通を西へ約200m進んだ左手に、神泉苑の北門がある。
 神泉苑は、延暦十三年(794)、桓武天皇により禁苑として造営された。 平安京(大内裏)の南東隣りに位置し、南北4町東西2町の規模を有する苑池だった。 苑内には、大池、泉、小川、小山、森林などの自然を取り込んだ大規模な庭園が造られており、敷地の北部には乾臨閣を主殿とし、右閣、左閣、西釣台、東釣台、滝殿、後殿などを伴う宏壮な宮殿が営まれていた。
 天長元年(824)、日本中が日照りの際には、淳和天皇の勅命により弘法大師空海は神泉苑の池畔にて祈られ北印度の無熱池の善女龍王を勧請(呼び寄せられ)されました。 日本国中、雨が降り、人民が大いに喜びました。これ以降神泉苑の池には善女龍王が住むと云われてきた。空海による雨乞い以後、神泉苑は多くの名僧が祈雨修法を行うようになった。
 江戸時代には、徳川家康が二条城を築城する際、神泉苑の湧水を取り込み、城の内濠、外濠を満たすこととなり、神泉苑は境域の北部を失った。名苑の縮小衰退を悲しんだ板倉勝重、片桐且元や、筑紫の僧・快我上人が境内の堂舎を整備し、東寺管轄の寺院として再興された。

寺名: 神泉苑
宗派: 東寺真言宗
本尊: 聖観世音菩薩
創建: 天長元年(824)
開山: 空海
札所:
拝観: 苑内無料
住所: 京都市中京区門前町166
交通: 地下鉄東西線「二条城前」駅下車、徒歩約5分

【履歴】
2024/01/03(水): 2023/10/05(木)拝観。

大鳥居、北門

大鳥居

北門

 大鳥居は境内の南中央にある、石の鳥居。「明治41年(1908)4月建立」「三條臺若中」と彫られている。 江戸時代から明治末まではこの場所に、山門(薬医門)が建っていた。


本堂(利生殿)

利生殿

 弘化四年(1847)に東寺の大元帥堂を護摩堂の跡地に移築したもの。
 中央には「病気平癒」に御利益のある本尊:聖観世音菩薩像、右尊には「所願成就」の御利益がある不動明王像、左尊には「学業成就」に御利益のある弘法大師・快我上人が祀られている。 本尊の聖観音菩薩は後光明天皇の供養のために父の後水尾法皇によって造立されたもので、その光背と台座は生母である園光子の造立である。


【本尊・聖観世音菩薩の由緒】

 明暦二年(1656) 太上法皇(後水尾法皇)は、21歳の若さで崩御された子の後光明天皇を供養するため、後光明院の親しんだ朱子学の冊子と宸翰(天皇直筆の文書)を用いて、菩薩像を造られた。 國母仙院(生みの母・園光子)は菩薩像の光背や、台座、厨子を造られ賜った。 右衛門佐御局は歓喜に堪えず、慈照院のマ叔老師に仏像の開眼供養をさせた。
 その後、後光明院の唯一の子女であった孝子内親王(礼成門院)のもとで菩薩像は御一生の御信仏とされた。 享保十年}(1725)、礼成門院の薨去の後、御遺命により、東寺寳厳院に移され、神泉苑の御本尊となった。
(厨子内側の碑文、および東寺金剛蔵文書より)

善女龍王社

善女龍王社

 善女龍王社は善女龍王が池の中に住むことから神泉苑の中央の島に祀られている。文化十年(1813)改築。 祭神は善女竜王で、弘法大師空海が雨乞いのために北インドから御請来した神様である。 社殿は、手前から奥に向かって、拝殿、中門、拝所、本殿で構成されている。
 善女龍王社は天明の大火(1788)により焼失し、その後再建された。 平成二十五年の龍王社本殿修復工事の際には、文化十年(1813)に再建されたという棟札が見付かっている。


善女龍王

 善女龍王(ぜんにょりゅうおう)は雨乞いの対象である竜王のうちの一尊。
 天長元年(824)、時の帝・淳和天皇は長引く干ばつに対して興福寺(西寺とも)の守敏と東寺の空海に対して祈雨の修法を命じた。 守敏が7日間にわたって修法を行うも効果少なく、次に空海が当時大内裏に南接していた神泉苑にて修法を行うが1滴の降雨もない。 調べると空海の名声を妬む守敏により国中の龍神が瓶に閉じ込められていた。 しかしただ1体、善女龍王だけは守敏の手から逃れていたので天竺の無熱池(むねっち)から呼び寄せて国中に大雨を降らせたという。 この時空海の前に現れた善女龍王は「高野大師行状図画」に九尺(270cm)の大蛇の頭の上に乗る八寸(24cm)の小さな金色蛇として描かれている。

洛中天満宮

洛中天満宮

 もとは善女龍王社本殿の左奥にある、五葉の松近くに祀られていたが、平成二十六年の龍王社修復工事の際に、この場所に移された。
 神泉苑の天満宮は元文二年(1737)、安永九年(1780)の境内図にも記載があり、当時は境内の南西にあった。 建築規模は龍王社にも匹敵するもので、木塀に囲まれた本殿、手前には拝殿、鳥居、石灯籠が確認できる。 天明の大火(1788)により焼失したが、ほぼ同じ場所の境内南西に再建された。 弘化四年(1848)、現在の弁天堂のあたりに移転された。 現在の天満宮は社殿の規模は小さくなったが、宝暦三年(1753)に造られた石灯籠を残し、 江戸時代から人々の信仰を集めていた天満宮を偲ばせる御社となっている。

弁天社

弁天社

増運弁財天

 神泉苑の弁財天は、安岐の宮島・京都繁昌神社の弁財天と同体で、日本三体といわれている。 祭神は増運弁財天で、諸芸上達、福徳円満の御利益があるとされている。 また、水音が弁天様の奏でる琵琶の音色に聞こえると伝えられている。二臂(腕が2本)の座像である。


法成就池

法成就池

 法成就池は平安遷都以前から存在し、淳和天皇に勅命を受けた天長元年(812)に弘法大師空海が祈雨をして成就させたことから名付けられたと云う。なお“御池通”の名前もこの池が由来となっているという説もある。 また貞観五年(863)疫病が流行した際に神泉苑で疫病退散を祈り行われた“御霊会”が祇園祭の発祥となっている。


法成橋

法成橋

 法成就池に本堂と善女龍王社を結ぶ導線として架かる朱塗りの丸橋は、空海の法力に因んで「法成橋」と命名された。 そして、いつの頃からか「願い事をしながらこの橋を渡って善女龍王に詣(まい)ると、願いが成就する」と信じられるようになった。
 法成橋は「一願成就」の橋なので、欲張った願いは聞き入れられない。


あとがき

 二条城を拝観した際にはスケジュールがいっぱいで立ち寄れなかったので、あらためて今回参拝した。

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