事事関心! 仏閣探訪:
[ 京都市左京区/聖護院門跡 ]
京都市左京区/聖護院門跡         2021/10/31(日)新規
探索案内

 京都駅から聖護院門跡へ行くには京都市バスが便利である。 烏丸口の駅前バスターミナルから206系統に乗車し、「熊野神社前」バス停で下車(約30分)、バス停より東大路通へ戻り、少し北側に進み最初の右手脇道に折れると少し先(160m)左手にある(徒歩約5分)。
 聖護院門跡は、日本の修験道における本山派の中心寺院であると共に全国の霞を統括する総本山である。 明治五年(1872)の修験道廃止令発布後、一時天台寺門宗に属したが、昭和二十一年(1946)修験宗(のち本山修験宗)として再び独立して現在に至っている。

寺名: 聖護院門跡
宗派: 本山修験宗
本尊: 不動明王
開山: 増誉
創建: 寛治四年(1090)
札所: 近畿三十六不動尊第十八番霊場
住所: 京都市左京区聖護院中町15
拝観: 特別公開拝観料 大人800円[宸殿、障壁画、本堂、本尊不動明王像]
アクセス: JR京都駅より市バス206系統約30分、「熊野神社前」バス停下車、徒歩約5分。

【履歴】
・2021/10/31(日): 10/24(日)拝観。

由緒

 聖護院門跡(しょうごいんもんぜき)は、京都市左京区にある本山修験宗の総本山である。 門跡とは、皇族や貴族などが出家して居住した、格式の高い寺院のことである。
 寛治四年(1090)白河上皇が熊野三山を参詣した際に、修験僧として名高かった増誉(ぞうよ)僧正が案内役を務めた。 その功績によって僧正は寺を賜り、天皇を守護するという意味の「聖体護持」から文字を取って、「聖護院」と名付けられたという。 その後は、明治時代まで皇族や摂関家が代々門主(住職)を務めている。 江戸後期に京都御所で火災が発生したときには、光格天皇(1771-1840)が仮の御所として執務を行った。 そのため、「聖護院旧仮皇居」として国の史跡に指定されている。

山門


 延宝三年(1675)の大火で全焼した聖護院は創建当初の旧地に伽藍を再建された。 山門はこの時(1676年)の建築で、300年以上を経て平成十二年に修理された。


大玄関・宸殿

大玄関

修行者像

老松図

 大玄関、孔雀、太公望、波の間等内部の部屋は15を超え、狩野永納、益信筆による障壁画が130面にも及ぶ。
 大玄関は山門正面にあり宸殿への入口(宸殿の内部は、特別公開期間中に限り入場可)。
 大玄関の東西二面の狩野永納(京狩野)の老松図と北面の狩野益信(江戸狩野)の老松図がある。 北面の狩野益信の老松図は改修工事の際に隣から持って来たものとのこと。


御車輿(みくるまごし)

 特別公開の光格天皇ゆかりの網代輿と四方輿が展示されていた。
 四方輿は四方に御簾がある。住職が御所に行く時に乗るための輿で300年くらい修復しながら使われているとのこと。
 御車輿は長さ610p、幅126p、高さ170pで、当時上皇や親王などに使用された網代(あじろ)輿だ。 内部の物見板には、春夏秋冬の宮廷行事が土佐派の絵師により描かれ、両脇の網代には二重菊の紋章があることから、光格天皇やその弟で聖護院門跡だった盈仁(えいにん)親王ゆかりのものとみられるという。


宸殿

 宸殿は法親王が居住する門跡寺院の正殿である。書院作りの影響を強く受けているが、寝殿造りの形式を残し、宮殿風に造られている。



仏間(内陣)

不動明王立像

 内陣は、明治以前、宮家の貴人が皇室の行事に必要なことを学ぶ部屋として使用された。 現在、30畳の部屋は明治以降に改造され、板張りの仏間(内陣)となっている。
 中央に役行者の像が鎮座し、周りを修験道に関係が深い仏像が取り囲んでいる。 印象深いのは複数体ある不動明王像。右手に利剣、左手に縄状の羂索(けんじゃく)を持ち、人々に正しい知恵を授けるとともに、利剣で業や煩悩を切り取り、それを羂索で捕らえて背後の業火で燃やす。その表情は怖いだけではなく、どこか憂いをおびている。


上段之間

前室の襖絵

前室の壁絵

 上段之間は、聖護院宮が正式な対面場所として使用した場所で、光格天皇が仮御所とされていた際も使用された場所とのこと。
 上段の間の正面に掲げられているのは、後水尾天皇(1596-1680)の筆による「研覃(けんたん)」の額。 聖護院の宮城泰岳執事長いわく、「自分自身を磨いて、自分の心の畑を耕しなさい」という意味で、額の四方が丸くなっているのは「他者を傷つける"角"を持たない」ことを表すと云う。

本堂

本堂

本尊:不動明王像【重文】

 本尊不動明王像、智証大師像、役行者像が安置されている。本尊の不動明王像は像高115センチの立像。ヒノキの寄木造。平安時代後期の作。 本尊に向かって右側の智証大師円珍像は厨子に入って安置されている。像高約90センチの坐像で、平安後期の1143年につくられたもの。


宸殿前の庭


置物

 市松模様の白砂が美しい白砂場は、庭園ではなく、あくまで修行の場という位置づけだそうだ。実際にこの場所では護摩行なども行われる。


山王社


 宸殿前の庭入口左手にある。
 山王社に祀られているのは、中央に山王権現、右に宇賀弁財天、左に稲荷大明神の三柱。 社殿は旧境内地から移動してきた年代物で、蟇股に魔猿、木鼻に獅子と象が掘られている。


あとがき

 30分ごとに集まった拝観者に説明員が付いて案内してくれる。担当してくれた説明員は手慣れたもので寺の歴史、宸殿の展示物、壁画や襖絵についてユーモアを交えて分かりやすく話されていた。 皇室ゆかりの寺宝から、狩野派の障壁画、天皇が大切な人のために建てた書院、荘厳な仏像の数々、そして修験道の厳しい修行の一端を見ることができる聖護院門跡の特別公開は見逃せない。


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