事事関心! 仏閣探訪:
[ 京都市東山区/東福寺 ]
京都市東山区/東福寺            2021/10/31(日)更新
探訪案内

 JR京都駅よりJR奈良線で一駅の「東福寺」駅にて下車、東山区本町にある臨済宗大本山東福寺を訪れた。
 東福寺は鎌倉時代に時の摂の政関白藤原(九条)道家が、南都東大寺と興福寺から「東」と「福」の二字を取り、菩提寺として19年の歳月をかけ造営した京都最大の大伽藍だ。仏殿には高さ15mの大仏立像を安置している。
 開山には聖一国師を仰ぎ、当初は天台・真言・禅の三宗兼学として壮大な堂塔伽藍を配置していたが、鎌倉末期に相次いでその大部分が焼失してしまった。 直ちに復興に着手、貞和三年(1347)前関白一条経通により仏殿が再建され禅宗寺院としてかっての偉容を取り戻している。

寺名: 慧日山 東福寺
宗派: 臨済宗 東福寺派大本山
本尊: 釈迦如来
開山: 円爾
開基 九条道家
創建: 嘉禎二年(1236)
住所: 京都市東山区本町15
拝観: 境内は無料。通天閣・普門院庭園拝観は600円。本坊庭園(方丈)は500円
   特別公開: (三門−1000円、法堂−1000円)
アクセス: JR奈良線・京阪電車「東福寺」下車、徒歩10分

【履歴】
・2021/10/31(日): 10/24(日)拝観。仁王門、方丈庭園、東司内部、三門内部を追加
・2019/10/25(金): 方丈、経蔵、五社成就宮を追加
・2012/09/30(日): 09/27(木)訪問

参道

仁王門【重文】

 東大路通りから参道へ入ると仁王門が迎えてくれる。 この門は、東福寺の塔頭万寿寺(三聖寺)の門としてほぼ現在地に建てられたもので、三間一戸の八脚門で切妻造本瓦葺である。 現在の仁王門は慶長二年(1597)に再建されたものとなっている。


退耕庵

善彗院 明暗寺

同聚院

門を過ぎた参道には塔頭寺院が立ち並んでいる。
東福寺塔頭 退耕庵: 貞和二年(1346)の創建。応仁の乱で衰微したが、慶長年間(1596-1615)に安国寺恵瓊が再興。小野小町ゆかりの恋文を胎内に納めて作った玉章地蔵と小町百歳像がある。[非公開]
東福寺塔頭 善彗院 明暗寺: 善慧院は、大永年間(1521-28)に元東福寺住持の彭叔守仙が隠遁所として開創された。一方、明暗寺は建武二年(1335)京都三条に開創された尺八禅の普化宗寺院で、江戸時代には大いに栄えたと言われているが、明治時代に廃寺となり、開山虚竹禅師像などが善慧院に預けられた。
東福寺塔頭 五大堂 同聚院: 東福寺129世を開山として文安元年(1444)に創建された。寛弘三年(1006)藤原道長が仏師康尚に作らせた不動明王坐像を本尊として五大堂に祀る。 不動明王坐像は木造坐像としては日本一の高さ(2m65cm)で国指定重要文化財に指定されている。


臥雲橋

参道(臥雲橋先)

 月下門(閉門中)を左手に過ぎると東福寺の中を経て流れる三ノ橋川に臥雲橋が架かっている。 木の板貼りの橋で、自転車も降りて渡る様にとあった。 橋を渡った先にある日下門から東福寺境内に入る。


三門(さんもん)【国宝】

三門-正面

三門-側面

 三門は空門・無相門・無作門の三解脱門の略で南都六宗寺院の中門にあたる。 東福寺は新大仏と呼ばれるような巨大な本尊を安置するなど南都二大寺に影響を受け、この三門は大仏様(天竺様)、禅宗様(唐様)、和様をたくみに組み合わせた建造方式となっている。 五間三戸、重層入母屋造、両脇に階上へのぼる山廊を設けた日本最大最古の遺構だ。 応永年間(1394-1428)足利義持により再建、昭和五十二年大修理が行なわれ現在に至っている。


三門-階上

 山廊を登った階上屋には中心に華やかな冠をかぶった宝冠釈迦如来、その両脇に右に善財童子、左に月蓋長者、さらにまわりを取り囲むようにずらりと十六羅漢の像がならんでいる。 また、柱や天井(明兆筆天井画)にも美しい模様が描かれている。かつては鮮やかな極彩色だったのだろうなー。
(令和三年度 第57回京都非公開文化財 特別公開)


本堂(仏殿兼法堂)


 明治十四年(1881)焼失後、法堂は仏殿を兼ねた本堂として昭和九年(1934)に再建された。 起工から竣工まで17年を要し復興させた昭和の木造建築中最大の建物(入母屋、裳階(もこし)付単層本瓦葺、正面七間・側面五間)とのこと。 三門にならった大仏様の組物と角扇垂木、禅宗唐様の桟唐戸・礎盤・鏡天井を備えている。 裳階の窓は和様の連子窓、破風の妻飾りは法隆寺南大門風と、多様な様式が組み合わされている。


釈迦三尊像

雲竜図天井画/堂本印象

 本尊の釈迦如来立像、脇侍の摩訶迦葉尊者・阿南尊者立像、四天王像が安置されている。 本尊の釈迦三尊像は、明治十四年(1881)に仏殿が焼失した際、万寿寺から移された像で、もとは三聖寺に安置されていたものだという(鎌倉時代の作)。
 「雲竜図天井画」(24×12m)は再建時に堂本印象(1891-1975)により新しく描かれた(昭和八年)。 描かれた龍の大きさは体長54m、胴回り6.2mもの大きさだ。

禅堂(ぜんどう)【重文】

 貞和三年(1347)再建。別称、僧堂、選佛場ともいう座禅専修の道場である。 中世期より現存する最大最古の禅堂で、桁行七間、梁間四間、単層、裳階(もこし)付切妻造。 鎌倉風の花頭窓と格子窓、弓形の木を並べた波欄間、鏡天井。 身舎(もや)中央には二重虹梁(こうりょう)と大瓶束(だいへいづか: 下の細まった円い短柱)。 その豪壮な姿に往時の隆盛が偲ばれる。 扁額「選佛場」は宋国径山万寿寺(きんざんまんじゅじ)の無準師範の筆と云う。
 明治の火災後、仮本堂とした改造がみられる。

東司(とうす)【重文】

東司/正面

小便溝

大便壺

 三門左側に一重切妻造の建造物がある。禅宗式の便所で「東司(とうす)」と呼ばれていた。東福寺の東司には一度に多くの修行僧が用を足すことから通称「百雪隠(ひゃくせっちん)」と云われる。 室町時代唯一の東司の遺構として貴重なもので、桁行七間(約35m)、梁間四間(14m)。 化粧屋根裏の廂、鏡天井、正背面の切妻飾りは身舎が二重虹梁大瓶束となっており古い禅宗様を現している。
 建物の内部の床面は土間になっており、その南北方向に2列20個ほどの円い穴が開けられ、そこに陶器で作られた便壷が埋め込まれていた。 列の右側が大便用、左側が小便用で、今は跡形もないが、当時はそれぞれに仕切りが施されていたようだ。
 禅僧は用便も修行であり、東司へ行くにも厳しい作法が定められていたと云う。

浴室(よくしつ)【重文】

 三門右手の小高い丘の頂に建っている。
 京都最古(室町時代)の浴室建築で重要文化財に指定されている。土間の奥の左右に腰掛を設け、中央の板敷を洗い場にした蒸し風呂である。
 入浴できる日は毎月、4と9のつく日と決められていて、一度に10人ほどの修行僧がお経を唱えながら入り、線香が1本燃え尽きるまでに済まさなければならなかったそうだ。


方丈

庫裡

方丈/恩賜門

 方丈は、明治二十三年(1890)の再建のもの。内部には三室二列の六室があり、南面に広縁が設けられている。
 正面前庭にある唐門は明治四十二年(1909)に造営され、昭憲皇太后より下賜されたものである。


東庭

南庭

西庭

北庭

 庭園は近代の造園家、重森三玲によって昭和十三年(1938)に作庭され、方丈を囲んで四方に配されている。 釈迦成道を表現し、「八相の庭」(【国の名勝】)と命名されている。 鎌倉期庭園の質実剛健な風格を基本とし、これに近代芸術の抽象的構成をとり入れた枯山水庭園である。

殿鐘楼と経蔵

殿鐘楼

経蔵

 禅堂の北、経蔵の前に建つ鐘楼は、漆喰壁に覆われた室町後期の建物である。 銅鐘は、平安初期以前の鋳造と考えられ、廃寺となった西寺の遺物を九条道家が求め、東福寺に寄進したものと伝えられている(重要文化財・収蔵庫に収納)。
 現存の経蔵は寛政五年(1793)に再建されたもの。
 経蔵の中には八角形の回転式輪蔵が置かれ、開山聖一国師(円爾)が宋から持ち帰った書跡や貴重な書物、経典が所蔵されている。 その数は凡そ1000余り。

開山堂(常楽庵)と普門院【重文】

 通天橋を渡った先の門を潜ると正面に建っている。


開山堂

普門院

 開山堂は、もとの建物は文政二年(1819)に焼失し、同六年一条忠良によって再建された。 屋上に閣を持つ類例を見ない開山堂で、正面柱間八間、内部は禅式瓦敷(四半敷)、祀堂は床高で開山国師像を安置している。 上層伝衣閣は正面三間、内部左右いっぱいに壇を設け、中央に阿弥陀、右に薬師、左に布袋像を祀る。 前方天井は格子天井で、この縁から見る庭園は、四辺の眺望を借景にして格別だ。
 普門院は開山堂の西隣に位置する寝殿造風の建物で、開山国師常住の方丈と伝えられている。 内部は三室に仕切られ、その襖絵は花鳥草花・唐人物を主題とし七十四面(重要文化財、桃山−江戸)からなる、画流各派の競作が残されている(現在は収蔵庫に収納)。

通天橋(つうてんきょう)

通天橋

偃月橋【重文】を望む

 通天橋は、仏殿から開山堂(常楽庵)に至る渓谷(洗玉澗: せんぎょくかん)に架けられた橋廊である。 天授六年(1380)、春屋妙葩(しゅんおくみょうは;普明国師)が谷を渡る労苦から僧を救うため架けたと伝えられ、歩廊入口には同国師の筆になる「通天橋」の扁額を掲げている。 南宋径山(きんざん)の橋を模し、普明国師が"通天"と名付けられた。 その後、第四十三世住持、性海霊見が修造し、長廊を架したとも云われているが、その後も幾度か架け替えられ、現在のものは、昭和三十四年(1959)台風によって倒壊したものを同三十六年(1961)再建したものである。
 偃月橋は東福寺三名橋で最も上流に架かり、慶長八年(1603)の建築で唯一の国の重要文化財となっている。 橋長:21m, 幅員:2.2m、単層切妻造・桟瓦葺きの木造橋廊である。 「日本百名橋」の一つ。

五社成就宮


 三門の東側にあり、石鳥居からの参道石段を上ったところに五社成就宮がある。
 五社成就宮は石清水八幡・賀茂・稲荷・春日・日吉の五社を祀ることから「五社明神社」とも呼ばれている。
 現在の東福寺のある地には、かつて、延長二年(924)に藤原忠平によって建てられた藤原氏の氏寺・法性寺(ほっしょうじ)の巨大な伽藍が広がっていた。元はこの法性寺の鎮守であった。

あとがき

 2012年9月末に訪れたが、残暑の盛りで熱い一日だった。ここは、京都でも一位二位を争う紅葉の名所なのであと二か月ほど後の拝観がベストだろう。 なお、庭園の観覧は失念にて叶わなかった。何という事だ!!。
 2021年10月末にやっと再訪。今回は前回観そこなった方丈庭園の拝観と三門楼上の特別公開の拝観に訪れた。 うまい具合にコロナ禍もほぼ収まり、観光客が増え気味だが此処はまだ少な目だった。 三門楼上では見学者が少なかったこともあり個々に案内員が付いて説明してもらえて助かった。

あしあと

inserted by FC2 system