京都からだと近鉄京都線の急行に乗り約40分弱で最寄駅の近鉄「大和西大寺」駅へ到着する。
そして、駅からは徒歩かバスで行くことになる。
バスだと、駅北口から奈良交通バス「72:押熊行き」で「秋篠寺」バス停へ(約5分)、秋篠寺の東門まで徒歩1分で到着だ。
一方、徒歩の場合南口に出て、線路沿いに大阪方向(西方向)に550mほど進み、歴史の道に出会ったら北方向へ更に850m歩くと秋篠寺の南門に到着する(約20分弱)。
秋篠寺は奈良時代末期宝亀七年(776)、光仁天皇の勅願によって善珠僧正を開山として建立された。
平城京西北の外れ「秋篠」の地に建てられたので「秋篠寺(あきしのでら)」と呼ばれている。
平安時代末期には戦火により伽藍の大部分を焼失し、鎌倉時代には今の本堂が元の講堂跡に再興されたが、金堂や東西両塔の跡は今では雑木林になってしまっている。
寺名: 秋篠寺
宗派: (単立)
創建: 伝・宝亀七年(776)
開基: 光仁天皇(勅願)
本尊: 薬師三尊像【重文】
住所: 奈良市秋篠町757
札所:
拝観: 500円。9:30〜16:30
アクセス: 近鉄「大和西大寺」駅下車、奈良交通バス「72:押熊行き」に乗車し「秋篠寺」バス停で降りると東門まで徒歩1分。
【履歴】
・2020/10/31: 10/26(月)拝観
南門 |
南門からの参道 |
秋篠寺の本来の山門として機能して来た「南門」はバスでアクセスする際に利用する「東門」とは比較的離れた位置にあり、田んぼや鎮守神「八所御霊神社」に隣接する長閑な雰囲気が漂っている。
なお、南門と東門は無料で往来できる境内の参道で繋がっている。
東門 |
現在参拝者の多くが利用する「東門」はこじんまりとした雰囲気で、お寺というよりはお屋敷内の庭園の中に入るような雰囲気が漂う空間だ。
本堂【国宝】 |
当寺創建当初講堂として建立されたが金堂の焼失以後鎌倉時代に大修理を受け、以来本堂と呼ばれてきたもの。
寄棟造・本瓦葺きで正面には格子戸・連子窓を使用した建築は規模としては桁行5間(約17.5m)・梁間4間(約12m)とごく平均的な仏堂のスケールとなっている。
伎芸天立像【重文】(WEB借用) |
五大力菩薩像(WEB借用) |
本堂には25体安置されている仏像の中でも特に著名なのが伎芸天[重文]で、諸技諸芸の守護神として多くの芸術家や芸能人らに慕われ、またその造形の優美な写実性は古美術愛好家の間でも広く親しまれている。
秋篠寺本堂の南西側すぐの位置にある堂宇。奈良時代の様式に比較的近い素朴な本堂とは異なり、唐破風や龍の透かし彫りなど装飾性の強い外観を持つ建物となっている。 このお堂には毎年6月6日の年間1回のみしか公開されない秘仏「大元帥明王(重文)」が祀られている。
拝観は基本的に行われてない本堂西側の開山堂では、開祖である善珠僧正の図像が祀られている。
鐘楼は、本堂の東側にひっそりと建っている。 建造年代は不詳となっており、重文指定などは受けていないが、シンプルかつ重厚感あふれる外観が特徴だ。
本堂の南側一帯はかつての「金堂」があったとされる場所だが、現在は苔むした地面が実に美しい林、苔庭となっており、京都のお寺のような風情を感じることが出来る。
東門から入りかっての金堂跡の東側にあたる処に春日大社はじめとする十三の社が横一列に並べて祀られている。 往時の神仏習合を如実に物語る遺産である。
東門から入った直ぐ左手にある。
僧・常暁が当寺院にあるときに、閼伽井の水面に映る大元帥明王像を見たという故事に因んで,大元帥修法が毎年正月七日宮中で行われる時の神泉は、この香水閣の閼伽井から汲み上げられ、この秋篠の地から平安京禁裏まで運ばれた。
なお、この儀式は以降、天皇が東京へ遷る前年の明治四年まで連綿と続けられた。
平安期以降の朝廷が、何事も先例主義の硬直した公家政権であったとは言え、大元帥修法がいかに重要な儀式とされたかがわかる。
本堂では、壁際の基壇上に並ぶ二十五体もの仏像を目近で拝む事が出来た。其々が素晴らしく感じられた。
秋篠寺は奈良市街から離れて孤立した寺なので訪れにくいが、”歴史の道”を歩き、すこし東側にある陵墓群や平城京跡と共に散策するとよい。