事事関心! 仏閣探訪:
[ 奈良県生駒郡斑鳩町/中宮寺 ]
奈良県生駒郡斑鳩町/中宮寺         2018/11/02(金)新規
探索案内

 法隆寺夢殿の直ぐ左手奥にあるので、法隆寺拝観の際はついでの参拝を薦める。
 中宮寺は大和三門跡寺院の1つで、聖徳太子の母である穴穂部間人皇女の発願により創建された。 その旧地は現在の東方約500m程のところに土壇として残っており、昭和三十八年(1963)の発掘調査で南に塔、北に金堂を配した四天王寺式伽藍配置であったことが確認されている。
 その後、平安時代には寺運衰退し、僅かに草堂一宇と菩薩半跏像を残すのみとなった。 鎌倉時代に入り、中興信如比丘尼の尽力により天寿国曼荼羅[国宝]を法隆寺宝蔵内に発見して取り戻すなど、いくらかの復興を見たものの、往時の盛大さには比すべくなかった。
 旧地では室町時代の瓦が出土しており、その頃までは法灯が続いていたようであるが、度々火災に遭い、法隆寺東院の山内子院に避難し、その後旧地に戻ることは叶わなかった。
 天文年間(1540年頃)伏見宮親王の皇女尊智女王が入寺し、以来尼門跡として、次第に寺観を整えたのが今の伽藍である。
 宗派は、鎌倉時代は法相宗、その後は真言宗泉湧寺派に属し、戦後は法隆寺を総本山とする聖徳宗に属している。

寺名: 法興山 中宮寺
宗派: 聖徳宗
本尊: 如意輪観音菩薩半跏像
住所: 奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺北1-1-2
アクセス: 近鉄筒井駅から王寺駅行きバス「中宮寺前」下車、徒歩5分。

【履歴】
・2018/11/02: 10/30(火)拝観

山門


 山門は文政八年(1825)の建立。普段の出入りは山門左横にある脇門を利用する。


本堂

本堂

扁額「中宮寺」

 本堂は高松宮妃の発願で昭和四十三年(1968)五月に建立した耐震耐火構造・鉄筋コンクリート造りの和風現代建築となっている。 設計は昭和期に活躍し、和風の意匠である数寄屋建築を独自に近代化した建築家の吉田五十八である。旧歌舞伎座や成田山新勝寺本堂などの設計を手掛けた。



如意輪観音菩薩半跏像【国宝】

天寿国繍帳残闕【国宝】[奈良博蔵]

 本堂に入り本尊の木造菩薩半跏像(国宝)を拝むことが出来る。本堂内には、本尊の他、天寿国繍帳残闕(レプリカ)も置かれており、CDで寺の歴史や本尊、天寿国繍帳残闕の説明が流されている。
 木造菩薩半跏像は、飛鳥彫刻の最高傑作。世界の美術学者の間ではアルカイックスマイルの典型として高く評価されており、エジプトのスフィンクス,レオナルド・ダ・ヴィンチのモナリザと並び世界の3大微笑像と呼ばれている。  天寿国繍帳残闕は断片とはいえ、飛鳥時代の染織の遺品としてきわめて貴重なものとのこと。

表御殿

大玄関

表御殿【重文】

 本堂の北側に建つ表御殿(国の重要文化財)。女性の皇族宮家をお迎えするために造営された住居である。 木造書院造平屋建、入母屋造、本瓦葺。元は江戸時代初期の建立と推定されるが文政五年(1822)に2軒にし、現在の姿となった。 山門の正面にある大玄関は表御殿と渡り廊下でつながっている。

会津八一の歌碑

会津八一の歌碑

 平成二十二年の建立。
「みほとけの あごとひぢとに あまでらの あさのひかりの ともしきろかも」
 大正九年(1920)に詠まれた歌。


あとがき

 本堂に上がり、本尊の如意輪観音菩薩半跏像を拝みながらレコーダーから流れる寺と宝物の説明を聞く。 伺った時は14,5人も先客がおり本堂内は満員の状態だった。
 如意輪観音菩薩半跏像を拝見し、「京都の広隆寺の木造弥勒菩薩半跏像[国宝]と同じだ!?」と感じたが、広隆寺のものは宝冠を戴いているのが一寸違った。 この造形は飛鳥時代に流行していたのだろうか?。

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