近鉄「大和西大寺」駅下車、北口より奈良交通「JR奈良駅西口行」バスに乗車し7分ほどの「法華寺」バス停で降りる。少し南側丁字路で右折して進むと次の丁字路右手に法華寺の拝観入口である赤門がある。
法華寺は大和三門跡に数えられる品格ある尼寺だ。もと藤原不比等の住居であったものを、光明皇后が総国分尼寺として建立した。
法華滅罪の寺と称し、七堂伽藍を備えて隆盛を極めた。平安遷都とともに衰えたが、豊臣秀頼の母淀君によって現在の構えに整えられた。
寺名: 法華寺(法華滅罪之寺)
宗派: 光明宗
創建: 天平十七年(745)
開基: 光明皇后
本尊: 本尊:十一面観音立像【国宝】
札所: 神仏霊場巡拝の道第22番
住所: 奈良市法華寺町882
アクセス: 近鉄「大和西大寺」駅下車、奈良交通「JR奈良駅西口行」/「法華寺」バス停バス下車、徒歩3分。
【履歴】
・2020/10/31(土): 10/26(月)拝観。
南門【重文】 |
赤門 |
南門は切妻造・本瓦葺の四脚門で慶長六年(1601)豊臣秀頼と淀殿により再建されたもの。
塀の東端には江戸時代中期に建造された赤門(東門)がある。出入りはこの赤門からで、入ってすぐ右手に拝観受付がある。
本堂【重文】 |
本尊:十一面観音像【国宝】 (WEB借用) |
本堂は、赤門の正面に建つ寄棟造、本瓦葺きで正面7間、側面4間の大きさの建物。
慶長六年(1601)豊臣秀頼と淀殿の寄進で慶長伏見地震の復興事業として再建された。
堂内厨子に本尊十一面観音像が安置されている。
鍾楼【重文】 |
豊臣秀頼と淀殿により再建された。鬼瓦に慶長七年(1602)の刻銘があり、形式や細部からみてその頃の再興と考えられる。ただし、本堂と同様に、前身建物のものとみられる古い部材も混在している。二層建てで、上層に鐘を吊る「袴腰付き鐘楼」であるが、上層に縁や高欄の無い珍しい形式となっている。
護摩堂 |
平成十六年(2004)に建立された護摩堂は、室町時代に護摩堂が倒壊して以来はじめて再興された建物である。
法華寺の護摩法要は万民の病苦災厄を取り除き万人豊楽を願い、光明皇后が自ら法華経を読誦されたことにはじまる。
浴室【重文】 |
光明皇后が千人の垢を自ら流したという伝説のある蒸し風呂であるが、現存の建物は江戸時代の明和三年(1766)のものである。
建造物としてではなく、民俗文化財として国の指定を受けている。
日本最古の風呂と云われている。
光月亭 |
光月亭は、梅林で名高い月ヶ瀬村(現奈良市)から、昭和四十六年(1971)に移築された。 ゆるやかな丸みをもつ茅葺屋根。軒は深く、自然の味を生かした梁や煤竹(すすだけ)の天井、勾玉型の竈(かまど)など、まるで昔ばなしに出てきそうな懐かしい日本の家屋である。光月亭南側には茶室「慶久庵」もあり一服出来る。
薬師堂 |
境内東側にひっそりと佇むごく小さなお堂で、本尊は薬師如来となっている。
横笛堂(正面) |
横笛堂(側面) |
かつて南門を出て左側の飛地境内にあったが、赤門の東側に移築されている。
『平家物語』や高山樗牛の小説『滝口入道』で知られる悲恋物語のヒロイン・横笛が尼となった後に住んだとされる建物とのこと。
慈光殿 |
絹本着色阿弥陀三尊【国宝】 (WEB借用) |
不動明王像(宝山湛海) (WEB借用) |
仏像や仏画、経巻などを収蔵する宝物殿で昭和五十四年(1979)に建造された。
秋の正倉院展に合わせて公開を行っている。
「国宝 阿弥陀三尊及び童子像」、「四臂不動明王坐像」、「阿弥陀如来立像(横笛堂本尊)」、「不動明王像(湛海作、厨子入)」のほか、法華寺五重小塔(海龍王寺五重小塔を本堂古材で復元)や法華寺古瓦、土器などが展示されている。
境内東端にある華楽園も散策してみたが手入れはさほどされていないようで雑多に咲いていた。蓮池に咲く「法華寺蓮」が有名だそうだが春の季節に来ないと見れないしな―。