境内図 |
JR大和路線「法隆寺」駅で下車、約35分ほどで法輪寺に到着。駅からタクシー利用がお薦め。
推古30年(622)、父聖徳太子の病気平癒を願った山背大兄王によって建立されたと伝えられる。
地名にちなんで「三井寺」とも呼ばれている。
創建当時の建物は現有していない。
戦後に行われた発掘調査から、法隆寺式伽藍配置をとり、七堂伽藍を完備していたこと、七世紀の創建だったことが分かった。
法隆寺、法起寺とともに斑鳩三塔として、美しさを称讃された三重塔は昭和十九年(1944)の落雷によって焼失。
昭和五十年(1975)に昔ながらの工法を用いて復元された。
講堂には、薬師如来坐像(重要文化財)や虚空蔵菩薩像(重要文化財)などの見応えのある飛鳥仏が安置されている。
寺名: 妙見山 法輪寺(別名: 三井寺)
宗派: 聖徳宗
本尊: 薬師如来坐像(重要文化財)
創建: 推古天皇30年(622)
開祖: 山背大兄王
住所: 奈良県生駒郡斑鳩町三井1570
拝観: 一般500円 午前8時〜午後5時(冬季:午前8時〜午後4時30分)
札所: 聖徳太子霊跡第16番、大和北部八十八ヶ所霊場第53番
アクセス: JR大和路線「法隆寺」駅から徒歩約35分。
【履歴】
・2018/11/02: 10/30(火)拝観
南門 |
宝暦十一年(1761)に現金堂、続いて旧講堂(現在の収蔵庫の位置)、南門が復興された。
門を潜ると左側に受付がある。境内参道の真っ直ぐ正面には講堂がある。
現在の金堂は、江戸正保二年(1645)の台風で堂宇が倒壊してしまった後、三重塔が修復された宝暦十年(1760)の翌年に再建されたものである。
本尊の薬師如来様はじめ、主だった仏像を安置していたが、現在は老朽が進み、安全を計り収蔵庫(講堂)に移している。
講堂は僧が勉強するための堂宇で、やはり塔、金堂と共に伽藍の中心となる建物である。
金堂と同時期に再建された江戸時代の小さな講堂を、昭和三十五年(1960)に耐火耐震の鉄筋コンクリートの収蔵庫として建てなおした。
規模は縮小されているが、旧講堂の位置を踏襲して建てられている。
本尊の薬師如来をはじめ、11体の仏像を安置し、出土瓦、伽藍図や塔の模型など公開している。
薬師如来坐像【重文】 飛鳥時代 |
虚空蔵菩薩立像【重文】 飛鳥時代 |
十一面観音菩薩立像【重文】 平安時代 |
弥勒菩薩立像【重文】 平安時代 |
秘仏の妙見菩薩立像を祀り、一年の除災招福と諸願成就を祈願する節分の日の星祭りや、毎月の護摩供などを行う、行(ぎょう)のための堂宇である。
旧妙見堂は寺北の山中から境内に移築されたもので、江戸時代中期の様式を残す三間堂だった。
近年は老朽化著しく改築が急がれていたが、平成十五年(2003)に新妙見堂が再建された。
妙見菩薩立像は4月15日の妙見会式など、年に何度か拝観することができる。
太平洋戦争末期の昭和十九年(1944)7月21日、落雷で焼失。焼失前の塔は最大最古の三重塔として明治時代より国宝指定を受けていたが全焼、指定解除となった。
昭和五十年(1975)、西岡常一棟梁のもと、旧来の場所に創建当初と同じ姿で再建された。
塔内には、塔の焼失時に救出していた釈迦如来坐像と四天王像(平安後期)が安置されている。
江戸時代の建物で、鎌倉時代末の石造りのお地蔵様を祀っている。
法隆寺を拝観した後だとどうしても感慨が薄らいでしまう。 講堂にて諸仏を拝観したが一体も記憶に残っていないとは...。