事事関心! 仏閣探訪:
[ 奈良県大和郡山市/松尾寺 ]
奈良県大和郡山市/松尾寺          2023/10/05(木)新規
探索案内

 JR大和路線「大和小泉」駅で下車、駅からタクシーで松尾寺へ。歩くには距離がありすぎなので駅東口からタクシー利用をお薦めする(西口はダメ!)。
 松尾寺(まつおでら)は、奈良県大和郡山市松尾山の山頂近くにある真言宗醍醐派の別格本山の寺院で、「日本最古の厄除け寺」と称され、およそ1,300年の歴史を持つ。
 本尊は千の手と千の眼を持つ厄除観音で、霊験あらたかといわれ、年中厄除の参拝者で賑わう。

寺名: 松尾山 松尾寺
宗派: 真言宗醍醐派
本尊: 千手千眼観世音菩薩(やくよけ観音) [県指定有形文化財]
創建: 伝・養老二年(718)
開基: 伝・舎人親王
住所: 奈良県大和郡山市山田町683松尾山
拝観: 一般500円 午前8時〜午後5時(冬季:午前8時〜午後4時30分)
札所: 大和北部八十八ヶ所霊場第54番、役行者霊蹟札所
アクセス: JR大和路線「大和小泉」駅からタクシー10分。

【履歴】
・2023/10/05(木): 10/05(木)拝観

山門

北総門

南惣門

 北総門を潜り百八段の石段を中程まで登ると松尾水の閼伽井がある。松尾水は本尊の厄除観音さまに捧げる霊水である。
 鐘楼近くの石段を下りると左手に宝蔵殿・松尾寺文化財研究所があり、傍の南惣門から松尾寺道へと参道が続いている。

本堂

本堂

 現存する本堂は建治三年(1277)に焼失した後、建武四年(1337)に再建されたもの。 建武四年・延元二年(1337)に再建された中世の大型仏堂の貴重な遺構で、和様を基調とした比較的簡素な建築意匠ではあるが、大仏様の様式も取り入れられ、新和様と呼ばれる。
 本尊の千手観音立像は鎌倉時代の作である。



ソルトー

舎人親王像

 ソルトー: 本堂の解体修理中の昭和二十八年(1953)、屋根裏から焼損した仏像の残欠が発見され、これは建治三年の火災以前に祀られていた旧本尊像ではないかと推定されている。
 本堂の解体修理中の昭和二十八年(1953)、屋根裏から焼損した仏像の残欠が発見され、これは建治三年の火災以前に祀られていた旧本尊像ではないかと推定されている。
 舎人親王像: 開山の舎人親王は天武五年(676)に天武天皇の第五子として生まれた。 日本書紀編纂の総裁として活躍し、42歳の厄年の厄除と日本書紀の無事完成の大願を成就するため当松尾山に籠り修業し、満願の日養老二年はつうま日に厄除観音様を感得した。

七福神堂、阿弥陀堂、行者堂

七福神堂

大黒天像【重文】

 七福神堂に祀られている大黒天像【重文】は弘法大師の作と伝えられ、眉をひそめた怒りの表情で修業の姿をしている珍しいものと云う。



阿弥陀堂

行者堂

阿弥陀堂: 行者堂、七福神堂の間に並び東面する入母屋造り本瓦葺の小堂で、江戸中期頃に建てられた。 阿弥陀如来と観音菩薩・勢至菩薩を祀り、各種回向(先祖回向・水子供養他)が行われる。
行者堂: 日本で最大の役行者像と、前鬼・後鬼を祀り、毎日曜日に世界平和と諸願成就を祈願して堂内で護摩を奉修。 毎年九月一日〜七日の修験道まつり期間のみ特別公開される。

三重塔


 承和二年(835)の創建と伝わる。 明治の再建説もあるが、鬼瓦に正徳三年(1713)の銘があり、旧材も一部に再用されている。 後水尾天皇持仏であった如意輪観世音菩薩が寄進され、祀られている。


十三重石塔


 舎人親王の毛骨を納祀したものと伝わる。 初層の軸部にウン(阿閣)、タラク(宝生)、キリク(阿弥陀)、アク(不空成就)の金剛界4仏の梵字が刻まれている。 相輪部は伏鉢、請花・九輪・水煙を一石から彫成、南都の十三重塔中でも屈指のものと云う。


松尾山神社


 松尾山の山頂にある。春日造り桧皮葺の三社殿が並び、これに拝殿と神楽殿が配置されている。 松尾大明神を本社、清滝権現・牛頭天皇を脇社として三社斎祀している。
 元観音堂跡と言われ、昭和五十二年に発掘された奈良時代の鎧瓦などが宝蔵殿に展示されている。

あとがき

 松尾寺は人里離れた松尾山の山麓にあるので計画を立てて訪れないといけない。 拝観後は松尾寺道を独行したが、途中から道を分岐し急な坂道を「舎人親王伏し拝み伝承地」へと下った。

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