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[ 奈良県奈良市/薬師寺 ]
奈良県奈良市/薬師寺【世界遺産】           2021/10/28(木)更新
探索案内

 近鉄京都線「西ノ京」駅で降り、駅を出て目の前の道を右へ折れ南へ向かう。線路と平行に進み、最初の線路と交差する道路で渡ると薬師寺の南門の前がある。 なお、駅を出て線路を超えて左へ進むと1分ほどで北門に行けるが、南門が正門なので多少遠回りだが南門から入ることをお勧めする。
 薬師寺は白鳳時代(およそ1300年昔)、天武天皇が皇后(のちの持統天皇)の病気平癒を祈り、藤原京にて創建された。 その後平城遷都に伴い、養老二年(718)に現在地に移された。
 金堂、講堂などを中心に、東塔と西塔の2つの三重塔を配する構成は独特なもので、薬師寺式伽藍配置と呼ばれている。 この華麗な伽藍も数次の火災にあって次々と焼失し、創建当時の姿を残すのは東塔のみだ(2017年は修復工事中だった)。 しかし、昭和五十一年(1976)金堂が、昭和五十六年(1981)には西塔が、その後中門、回廊、玄奘三蔵院伽藍が復原造営され、平成十五年(2003)には大講堂も落慶し、今なお白鳳伽藍の復興を目指して再建が進められている。

寺名: 法相宗大本山 薬師寺
宗派: 法相宗
本尊: 薬師三尊像【国宝】
創建: 天武天皇九年(680)
開基: 天武天皇(勅願)
住所: 奈良県奈良市西ノ京町457
札所: 南都七大寺、西国薬師四十九霊場第1番
   神仏霊場巡拝の道第25番、大和北部八十八ヶ所霊場第49番
拝観: 白鳳伽藍・玄奘三蔵院伽藍 1,100円
   白鳳伽藍・玄奘三蔵院伽藍+東塔・西塔初層 1,100円(令和3年3月1日〜令和4年1月16日)
アクセス: 近鉄橿原線「西ノ京」駅より南門まで徒歩10分。

【履歴】
・2017/10/01(日): 09/26(火)探訪
・2019/05/10(金): 食堂の項目追加
・2021/10/28(木): 10/26(火)再訪。東塔の項目追加

南門【重文】

南門

入場口と西塔

世界遺産登録碑

 境内南正面にある小規模な切妻造、本瓦葺の四脚門。室町時代・永正9年(1512年)の建築で、もとは薬師寺西院の門であった。
 平成十年(1998)に「古都奈良の文化財」の一部として、ユネスコより世界遺産に登録されている。

中門


中門

仁王像

仁王像

 中門は昭和五十九年(1984)に西塔に引き続き復興された。その年、10月8日の落慶法要の時には扉だけ開いた。 また、平成三年(1991)には享禄元年(1582)の兵火により中門とともに焼失した二天王像が復元された。
 回廊は、藤原京薬師寺では単廊であったとされているが、平城京薬師寺では複廊と呼ばれる2重構造になっている。

金堂

 中門を潜ると真正面に大伽藍の金堂がそびえている。


金堂

月光菩薩像【国宝】

薬師如来座像【国宝】

日光菩薩像【国宝】

 昭和五十一年四月、その伽藍の中核をなす金堂がほぼ四百五十年ぶりに再建された。
 享禄元年(1528)に戦火により焼失し以降400年近く仮堂のままだったが、昭和五十一年に再建された。 なお金堂は本尊を安置する仏殿である。国宝の三尊を自由に拝観できるので見逃してはならない。
 飛鳥時代後期(白鳳期)の作。国宝指定名称は「銅造薬師如来及両脇侍像 3躯」。中尊は薬師如来、左脇侍(向かって右)に日光菩薩、右脇侍に月光菩薩を配している。 像高は薬師如来254.7cm、日光菩薩317.3cm、月光菩薩315.3cm。 日本の仏像彫刻が、中国・六朝や唐の影響を受けつつ、独自の古典様式を完成した7 - 8世紀の作品のなかでも最高傑作の1つとして古来名高いものである。

大講堂


大講堂

 大講堂は正面41m、奥行20m、高さは約17mあり伽藍最大の建造物である。 大講堂が金堂より大きいのは古代伽藍の通則で、これは南都仏教が教学を重んじ講堂に大勢の学僧が参集して経典を講讃したためとのこと。 特に薬師寺では平安時代に入ると南京三会の一つ最勝会の道場となって、勅使を迎えた法会が毎年盛大に営まれた。 最勝会では持統天皇が持統六年(692)に天武天皇の菩提を弔うために奉安した高さ3丈(8,9m)、広さ2丈1尺8寸(6,5m)の阿弥陀浄土を写した大繍仏像が正面に祀られた。 金堂の本尊薬師如来像が持統天皇の病気平癒の願いを込め天武天皇が発願されたのはよく知られるところで、いわば薬師寺白鳳伽藍は、天武・持統二代の天皇の夫婦愛が、それぞれ金堂と大講堂に込められている。 大講堂は現在の建築基準法に合わせ現代の技法を取り入れながら伝統工法による復元建築で、最大級の建物である。 薬師寺白鳳伽藍の雄大さを象徴している。

食堂(じきどう)

食堂

 食堂は、薬師寺白鳳伽藍の北側に2017年に再建(新築)された巨大な建物で、南北約16m・東西約41m・高さ約14mの規模は、南側に隣接する大講堂に匹敵する規模を誇る薬師寺最大級の建造物となっている。
 かつて薬師寺が創建された時期から存在した食堂はその名の通り、僧侶らが一堂に会して食事を行う場所であった。薬師寺の食堂は僧侶が一度に300人集うことが出来る規模であったとされている。 当初の食堂は天平二年(730)頃に建立されたと推定され、その後平安時代の天禄四年(973)に焼失し、更に寛弘二年(1005)に再建されたとされているが、その後年代は不明なもののいつしか失われることになった。

西塔

西塔

釈迦四相像

 西塔は享禄元年(1528)に兵火で焼失し、昭和五十六年(1981)4月に453年ぶりに復興された。本瓦葺、高さ33.9m。
 塔の真柱の下には釈迦の仏舎利を安置し、1階の須弥壇には沢田政廣仏師による四方四仏が収められている。 東には降魔成道像(釈迦の悟りの姿)、南には初転法輪像(釈迦の初説法姿)、 西には涅槃像(北枕で西を向いて横たわる釈迦の涅槃姿)、北には彌勒如来像(釈迦の死後、56億7000万年後に現れる未来の仏。白鳳時代の創建当初は釈迦の仏舎利を分ける八分舎利の塑像が安置されていたと伝えられている)

東塔【国宝】

東塔

心柱

 創建当時より残る唯一の建物で、各層に裳階をつけているので六重に見えるが三重の塔である。 一階には現状中心に聳える心柱のみと殺風景となっているが、数年後には西塔同様に須美壇が設けられるとのこと。 完成したらまた観に来たいな―...。


東院堂【国宝】



 東院堂は、養老年間(717〜724)に吉備内親王が元明天皇の冥福を祈り、建立した。 奈良時代は現在地の東側に建てられていたが、天禄四年(973)の火災で焼失した。 現在の建物は正面7間、側面4間の入母屋造本瓦葺で、弘安八年(1285)に南向きで再建されたが、享保十八年(1733)に西向きに変えられた。 高い基檀の上に建つのは、水害・湿気を避けるためであり、鎌倉時代後期の和様仏堂の好例。



四天王像

聖観世音菩薩【国宝】

四天王像

 堂内には、白鳳仏を代表する【国宝】聖観世音菩薩が安置され、その四方は鎌倉時代の四天王像が守護している。


玄奘三蔵院伽藍

南門

玄奘三蔵院伽藍

 「玄奘三蔵院伽藍」は、奈良を代表する寺の一つである薬師寺の「金堂」や「東塔」などがある「白鳳伽藍」の北側に広がる平成三年(1991)に新築された真新しい伽藍である。
 伽藍の名称に使われている「玄奘三蔵」はいわゆる「三蔵法師」として西遊記などに登場する有名な古代中国の僧侶で、インドに渡って仏教研究を行い、中国にその成果や多数の経典を持ち帰り、東アジアの仏教文化の発展に大きな役割を果たした人物として知られている。


玄奘塔

 玄奘塔は法相宗の始祖・玄奘三蔵のご頂骨を真身舎利として奉安し、須弥壇には玄奘三蔵訳経像を祀っている。
 また、玄奘塔の背面に位置する"大唐西域壁画殿"には平山郁夫画伯が30年の歳月をかけて描いた玄奘三蔵求法の精神を描いた壁画が収蔵されている。


あとがき

 2017/09/26(火)訪れた。丁度、勧進所で法話(30分ほど)が始まるところだというので拝聴。 奈良のお寺の成り立ち、薬師寺の概要、などを仏教の教えを交え分かりやすく説明して頂だけてよかった。
 2021/10/26(火)再訪。今回は東塔と西塔の初層内部公開に合わせて訪れた。コロナ緊急事態宣言期間が明け早や一月近く経つが此処はまだかっての賑わいは戻ってきていないようだ。 八時半過ぎと開場すぐの早い時間だったためか広い境内に数人のみと少なかった。


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