大阪メトロ御堂筋線「天王寺」駅下車、北側出口玉造筋を東へ、社会保険事務所の手前を左折して庚申街道に入る。
庚申街道を北へ約300mの処に四天王寺の境外仏堂である四天王寺庚申堂があり、更に約200m先に四天王寺の正門である南大門がある。
伝承によると、白鳳時代に疫病が流行し、四天王寺の僧毫範が祈祷したところ、大宝元年(701)正月七日庚申の日に帝釈天の使いとして童子が現れた。
青面金剛童子の像を授かり、これを祀ると疫病が鎮まったため、ここが庚申信仰発祥の地といわれている。
「日本最初の庚申尊出現の地」と謂れ、江戸時代に八坂庚申堂(京)、入谷庚申堂(江戸)とともに"日本三庚申"に数えられていた。
庚申の日とその前日(宵庚申)に本尊に祈願すれば、必ず一願が叶うと尊崇されてきた。
寺院: 四天王寺庚申堂(正善院)
宗派: 和宗
本尊: 青面金剛童子
開山: 毫範
創建: 大宝元年(701)
札所: おおさか十三仏霊場第四番札所
参拝: 無料
住所: 大阪市天王寺区堀越町2-15
アクセス: 御堂筋線「天王寺」駅下車、北側出口玉造筋を東へ、社会保険事務所の手前を北へ約300m
【履歴】
2022/11/01(火): 11/01(火)参拝。
山門(南門) |
東門 |
南に面した朱塗りの山門は境内の緑に映え鮮やかである。 寺の東側の道は「庚申街道」と呼ばれ、四天王寺南門を起点に、阿倍野区、住吉区、堺へと続いている。この道は、かってはメインストリートとして栄え、「庚申の日」には露天が並び、盛況を極めたそうだ。 現在では新しい道「谷町筋、阿倍野筋」や「あびこ筋」が拡張整備されたため人通りも少なくなり、昔日の面影はない。
四天王寺の庚申堂は諸国庚申の本寺とされ、60日に一度、年に六度の庚申の日には、庚申堂に参拝し息災を願う『庚申まいり』(大阪市の無形民俗文化財)が行なわれている。
本尊は青面金剛童子で60年に一度開帳される秘仏である。この青面金剛童子は疫病に苦しむ人を救うために、帝釈天の使いとして出現したそうだ。
寺伝によれば、大宝元年(701)正月七日庚申の日、豪範僧都(ごうはんそうず)が疫病に苦しむ多くの人々を救わんと一心に天に祈ったところ、帝釈天のお使いとして童子が出現し、除災無病の霊験を示されたとのこと。
豊臣秀頼再建(元和四年(1618))という往時の建物は大阪大空襲(昭和二十年)によって焼失した。
現在の庚申堂は大阪万博(日本万国博覧会/昭和四十五年)の際に全日本仏教会が休憩所として建造した「法輪閣」で閉会後に寄贈されたものだ。
本堂南向かいには"見ざる・聞かざる・言わざる"という三猿を祀る「三猿堂」がある。
庚申の日に、一願を祈ると霊験ありと伝えられている。
庚申の縁日には庚申堂境内、三猿堂前で「お猿御加持所」が設置され、「病に勝る」「魔も去る」という三猿堂の加持を受ければ、痛い所も忽ちに治るとされている。
普賢菩薩堂 |
普賢菩薩像 |
七福神像[昭和十一年奉納] |
普賢とは「全てにわたって賢い者」という意味で、あらゆるところに現れ命ある者を救う行動力のある菩薩と云う。 文殊菩薩とともに釈迦如来の右脇侍として三尊で並ぶことが多いが、独尊で祀られる場合もある。 文殊菩薩の智慧とともに修行を司る菩薩として、明晰な智慧で掴み取った仏道の教えを実践していく役割を果たすとされている。 また、女性の救済を説く法華経の普及とともに女性に多く信仰を集めてきた。
四天王寺庚申堂が最後となったが、"日本三庚申"[入谷庚申堂(江戸)(廃寺→小野照崎神社の庚申塚)、八坂庚申堂(京)、四天王寺庚申堂(大阪)]をやっと巡ぐる事が出来た。
昔しの信仰に関連して名所旧跡を巡る旅はなぜか心を静めてくれる気がして好きな活動である。
庚申堂には年に六回の庚申日に名物となっている「庚申こんにゃく」/(八坂庚申堂では「こんにゃく炊き」)がある。
何方も北に向かって無言で食べると無病息災で過ごせるとか。一度、実際に体験し、庚申さんの力によって欲望を括り猿に託し、心静かにひとつの願い事を込めてみたいものだ。