事事関心! 仏閣探訪:
[ 埼玉県川越市/喜多院 ]
埼玉県川越市/喜多院            2014/06/08(日)新規
探訪案内 

 JR川越線・東武東上線「川越」駅下車。東口3番乗場から「名所めぐりバス(東武バス)」に載り、「喜多院」バス停で下車するとすぐの処にある。
 天台宗川越大師喜多院は、仙芳仙人の故事によると奈良時代にまで遡る。 言伝えによると仙波辺の漫々たる海水を法力により除き、そこに尊像を安置したと云う。 平安時代、淳和天皇の勅により天長七年(830)慈覚大師円仁により創建された勅願所であって、本尊阿弥陀如来をはじめ不動明王、毘沙門天等を祀り、無量寿寺と名づけた。
 その後、元久二年(1205)兵火で炎上の後、永仁四年(1296)伏見天皇が尊海僧正に再興せしめられたとき、慈恵大師(元三大師)を祀り関東天台の中心となった。 正安三年(1301)後伏見天皇が東国580ヶ寺の本山たる勅書を下し、後奈良天皇は「星野山-現在の山号」の勅額を下した。更に天文六年(1537)北条氏綱、上杉朝定の兵火で炎上した。 慶長四年(1599)天海僧正(慈眼大師)は第27世の法灯を継ぐが、慶長十六年(1611)11月徳川家康公が川越を訪れたとき親しく接見している。 そして天海の意見により寺領4万8000坪及び500石を下し、酒井備後守忠利に工事を命じ、仏蔵院北院を喜多院と改め、寺勢を揮った。 寛永十五年(1638)1月の川越大火で山門を除き堂宇はすべて焼失した。
 その後三代将軍徳川家光公が堀田加賀守正盛に復興を命じ、江戸城紅葉山(皇居)の別殿を移築して、客殿、書院等に当てた。 家光誕生の間、春日局化粧の間があるのはそのためである。 その他慈恵堂、多宝塔、慈眼堂、鐘楼門、東照宮、日枝神社などの現存の建物を数年の間に相次いで再建した。

寺名: 星野山 無量寿寺 喜多院
宗派: 天台宗
本尊: 阿弥陀如来
開祖: 慈覚大師円仁
創建: 天長七年(830)
参観: 客殿・書院・庫裡・慈恵堂(本堂)・五百羅漢は有料(400円)
住所: 埼玉県川越市小仙波町1-20-1
交通: JR川越線・東武東上線「川越」駅下車。
   東口3番乗場から「名所めぐりバス(東武バス)」に載り、「喜多院」バス停で下車するとすぐ。
   但し、このバスは平日一時間に一便/時と少ない。(土日は二便/時)
   徒歩では、駅北側「三番町通り」を東へ向かい、四つ目の信号「喜多院入口」交差点まで進む
   (約1km)。この交差点で左折し、約800m北上すると左手にある。(約20分)

【履歴】
・2014/06/08(日): 06/04(水)参拝。

山門 【重文】

 ここの山門は、四脚門(しきゃくもん)で、屋根は切妻造り、本瓦葺になっている。 もとは後奈良天皇の「星野山」の勅額が掲げられていたと云う。 棟札から寛永九年(1632)に天海僧正により建立されたことが分かっている。喜多院では現存する最古の建物である。 昭和三十年に部分修理が行われ、現在に至っている。


鐘楼門 【重文】



 山門の左手20m程の所に見張り番所のような鐘楼門がある。
 二階建ての階上に梵鐘が吊るされたこの鐘楼門は、裄行3間、梁間2間、入母屋造り、本瓦葺の建物である。 1階には袴腰(はかまごし)と呼ばれる囲いが付き、2階の前面には竜、背面には鷹の彫刻が施されている。
 建立年代は不詳ながら寛永十年(1633)に今の慈眼堂の場所にあった東照宮の門として鐘楼門が建立されたことが「星野山御建立記」の記録にある。 なお、階上の銅鐘は元禄十五年(1702)の銘がある。(国認定重要美術品)

慈恵堂 【県指定有形文化財】



 山門を潜り境内に入ると、広い広場の正面に慈恵堂が建っている。 慈恵堂は、比叡山延暦寺第18代座主の慈恵大師良源(元三大師)を祀る堂宇で、大師堂として親しまれ、潮音殿とも呼ばれている。 建物は、裄行9間、梁間6間、入母屋造りで銅版葺になっている。 現在、喜多院の本堂として機能し、中央に慈恵大師、左右に不動明王を祀り、毎日不動護摩供を厳修している。 川越大火の翌年の寛永十六年(1639)十月にいち早く再建され、近世初期の天台宗本堂の遺構として貴重なものである。 昭和四十六年度から4年間に渡る解体修理が施されている。 天井に描かれた数々の家紋は、その際に寄進をされた壇信徒のものである。

慈眼堂 【重文】



 慈眼堂は広場左手の小高い丘(7世紀初頭の古墳)に建つ慈眼大師天海を祀る御堂である。 天海僧正は、寛永二十年(1643)10月2日寛永寺において入寂された。
 正保二年(1645)に徳川家光公の命によりこの御堂が建てられ、厨子に入った天海僧正の木像が安置された。 建物は、裄行3間、梁間3間の比較的小さな御堂で、屋根は中央から四方の隅へ流れる宝行造り、本瓦葺。 昭和三十年に部分修理が行われている。


多宝塔 【県指定有形文化財】



 広場右手に建つ多宝塔は、寛永十六年(1639)に、山門と日枝神社の間にあった古墳の上に建立された。 その後、老朽化が進んだため、明治四十三年(1910)に慈恵堂と庫裏玄関との渡り廊下中央部分に移築された。 ただし、移築に際し大幅に改造されていたので、昭和四十八年(1973)に現在地に移し解体修理を実施し復元した。 総高13m、方三間の多宝塔で本瓦葺、上層は方形、上層は円形、その上に宝形造りの屋根が載っている。 江戸時代初期の多宝塔の特徴が表れている。

小江戸川越七福神 大黒天 



 慈恵堂の右手には小江戸川越七福神の大黒天が祀られている。 大黒天は古代インドの闇黒の神で、仏教での戦闘神だ。平安以後食を司る台所の神と崇められた。 又、日本の神大国主命を大国と混同させ、命の御神徳を合わせ、糧食財宝が授かる神として信仰を得た。
 くろ(黒)くなってまめ(魔滅)に働いて大黒天を拝むと大福利益が得られると云われている。


葵庭園と弁財天厳島神社 



 葵庭園には弁財天厳島神社を囲むように池が配置されており、池にはホタルが生息しているとのこと。
 池の周りに生えた紫陽花はやっと咲きはじめたばかりだった。


あとがき

 喜多院は五百羅漢が有名だ。 今回は神社巡りが本目的なので時間短縮のため拝観料の必要な客殿・書院・庫裡・慈恵堂(本堂)・五百羅漢は見学をパスした。


関連コンテンツ

inserted by FC2 system