事事関心! 仏閣探訪:
[ 栃木県日光市/日光山輪王寺 ]
栃木県日光市/日光山輪王寺 [世界遺産]   2015/06/11(木)新規
あらまし

 創建は奈良時代にさかのぼり、鑑真和上の孫弟子「勝道(しょうどう)上人」により開山された天下太平の祈願所である。 近世には徳川家の庇護を受けて繁栄を極めた。比叡山や東叡山とともに天台宗三本山の一つとして数えられる。
 国宝、重要文化財など多数の文化財を所有し、徳川家光を祀った大猷院霊廟や本堂である三仏堂などの古建築も多い。
 日光山内の社寺は、東照宮、二荒山神社、輪王寺に分かれ、これらを総称して「二社一寺」と呼ばれている。
 徳川家康の四百回忌に合わせ、大猷院本殿にて家康の位牌(いはい)が初めて公開されていた。

寺名: 日光山輪王寺
宗派: 天台宗
本尊: 阿弥陀如来、千手観音、馬頭観音
創建: 天平二年(766)
拝観: 4-10月 8:00?17:00 11-3月 8:00 - 16:00
   三仏堂-400円 大猷院-550円 宝物殿・逍遥園-300円
住所: 栃木県日光市山内2300
アクセス: JR日光駅・東武日光駅より東武バス「中禅寺温泉行」または「湯元温泉行」で5分の「神橋」バス停で下車、
   徒歩5分。

・2015/06/12(金): 06/10(水)拝観

香炉と金剛桜 

香炉舎

香炉

香炉を支える天邪鬼

金剛桜【特別天然記念物】

 金剛桜は三仏堂右手前にある特別天然記念物の桜の樹。 ピンクの蕾が大輪の白い花を咲かせる山桜の突然変異種で、樹齢約500年とのこと。

三仏堂、鐘楼 

三仏堂(平成の大修理中)

扁額「金堂」

鐘楼

 三仏堂は、約50年ぶりの大修理中で、写真のように仮囲いで覆われていた。
 ここには本尊である弥陀・千手・馬頭の金色三尊大仏が祀られている。 弥陀如来・千手観音は丁度修復中で身近に手拝観出来たが、馬頭観音像は京都にて修復中で不在となっていた。 また、他の仏像も順路に沿って展示されており拝観出来た。案内人が拝観者の興味を誘うように十二支の守り神を熱心に説明していた。

大猷院−仁王門 【重文】

仁王門

那羅延金剛像

密迹金剛像

 大猷院の表玄関で阿吽が仁王門を守る朱塗りの八脚門、仁王門である。 左右の門には身の丈3.2mの密迹金剛(みしゃくこんごう)と那羅延金剛(ならえんこんごう)の二対の仁王像が睨みをきかせている。 「阿」「吽」を示す仁王像の口は物事には始めと終わりがあることを表現している。

大猷院−二天門 【重文】



 仁王門を潜り参道に沿って御水舎の処で左に折れると、目の前に大きな二天門が仰ぎ見れる。 残念ながら、修復工事中でその姿は窺い知ることが出来なかった。
 楼門門下層正面左右に、持国天、広目天の二天を安置していることから二天門と呼ばれている。 背面には風神・雷神が配置された均整の取れた美しいこの門は、上部分と下部分の彩色が著しく異なっており、日光の建造物では他に例がないとのこと。

大猷院−夜叉門 【重文】

夜叉門


阿跋摩羅

毘陀羅

鍵陀羅

烏摩勒伽

 大猷院本殿へはかなり勾配が急な階段を上り、その上に建つ夜叉門を潜っていく。 この夜叉門は1653年に建てられたものである。 朱色と金色を兼ね備えており、屋根は正面に軒唐破風がついており、切妻造となっている。 この門がなぜ夜叉門とよばれるのかというと、毘陀羅、阿跋摩羅、鍵陀羅、烏摩勒伽といった武器を携えた夜叉が門を守っているところからこの名前がつけられたそうだ。 夜叉門は、装飾がすべてボタンの花で統一をされ、牡丹唐草の彫刻が施されていることから、牡丹門とも呼ばれている。


大猷院−本殿 【国宝】

唐門

拝殿

 大猷院の中心伽藍で、拝殿・相の間・本殿から構成されている。
 拝殿は、東照宮の権現作りをそのまま生かし、規模は小さくとも細部の技法に力を尽くした造りとなっている。 東照宮が「権現造り」を中心とした神仏習合形式であるのに対し、大猷院廟は「仏殿造り」の純仏教形式となっている。
 拝殿に続く本殿の最奥部、「厨子(御宮殿)の中には、今回宝物殿で初公開中の「家光公座像」と「御位牌」が、又その前後には、家光公の本地「釈迦如来」(非公開)が奉安されている。 この建物を「廟(びょう)」といい、参り墓を意味し、一般の人の正式な参拝所となっている。 金・黒、赤の彩色をくまなく施された外観は、別名「金閣殿」の呼び名がある。


鐘楼【重文】

鼓楼【重文】


大猷院−皇嘉門 【重文】

皇嘉門


 本殿の後ろ、大猷院の最も奥に位置する家光公の御廟へ行くにはこの「皇嘉門」から入る。 中国、明朝の建築様式を取り入れたその形から、一名「竜宮門」とも呼ばれている。 門を潜るときに見上げると、天上には「天女の画像」が描かれており、これから先が家光公の御霊を奉る聖域であることを象徴している。


逍遥園 



 池の周囲を散策できる東西に細長い庭園で、また、男体山を遠望できる借景庭園にもなっている。





 面積は3200平方メートル(約1000坪)で、江戸時代初期に作庭された。 一説には、小堀遠州の作と言われているが、確証はないようだ。
文化十二年(1815)に大改造され、ほぼ現在の「池泉回遊式庭園」となり、儒者の佐藤一斎が、「逍遥園」と名付けたと言われている。





 池の中央には、中島があり、板と石の二つの橋がかかっている。 出島の枯滝組や、東部の巨石を混ぜた滝石組が豪壮な趣をなしている。

御霊殿 

参拝門

御霊殿

縁側

 明治・大正・昭和の天皇・皇后を祀る。庭園の東側に、皇室および歴代門跡の霊位を安置する御霊殿がある。 通常、非公開であるが今回住職の説明付きで皇室および歴代門跡の御位牌を拝むことが出来た。
 「輪王寺」の寺号は、明暦元年(1655)後水尾上皇の院宣により下賜された。それまでの寺号は平安時代の嵯峨天皇から下賜された「満願寺」だった。 寺号の下賜と共に、後水尾天皇の第三皇子・守澄法親王が入寺した。以後、輪王寺の住持は法親王(親王宣下を受けた皇族男子で出家したもの)が務めることとなり、「輪王寺門跡」あるいは「輪王寺宮」と称することになった。
 輪王寺宮は輪王寺と江戸上野の寛永寺(徳川将軍家の菩提寺)の住持を兼ねていて、大きな権威を持っていたという。

あとがき

 今回はツアーなので要所のみの拝観となってしまった。もっと観ておきたい処もあるので自由な旅で再訪したいものだ。

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