JR山手線「鶯谷」駅北口より徒歩10分(約800m)、または千代田線根津駅より言問い通りの善光寺坂を登り、登りきった辺りの信号を右に曲がり、約100mの突き当りにある。
寛永二年(1625)、天海僧正により東叡山寛永寺が開山したのと同時に、天海の命を受けた開基生順により東叡山寛永寺最初の子院として護国院が建立された。
寺名: 東叡山 寛永寺 護国院
宗派: 天台宗
本尊: 釈迦如来
創建: 寛永二年(1625)
開基: 生順
拝観: 無料
札所: 谷中七福神/大黒天
上野王子駒込辺三十三ヶ所観音霊場14番、東三十三所観音霊場2番
住所: 台東区上野公園10-18
交通: JR山手線「鶯谷」駅北口より徒歩10分(約800m)
【履歴】
・2021/01/10(日): 2015/01/05(月)参拝。
護国院は当初、寛永寺本坊裏手(現在の東京国立博物館北の寛永寺墓地の位置)にあったが、徳川家霊廟建設のため幕府の命により移転した。
慶安四年(1651)三代将軍徳川家光の霊殿建設のため、北寄りに移設となり、延宝八年(1680)四代将軍徳川家綱の霊殿建設のため移転、さらに宝永六年(1709)五代将軍徳川綱吉の霊殿を建設するために、現在の場所に移転した。
享保二年(1717)釈迦堂は焼失し、享保七年(1722)に再建された。
昭和二年(1927)市立二中(上野高等学校)の創立のため寺領の後の大半を譲渡し、参道を短くして手前(現在の場所)に釈迦堂を引き出したのを契機に護国院の本堂となった。
本堂 |
扁額「護国院」 |
扁額「大黒天」 |
宝永七年(1630)天海僧正により御堂が建てられ、古佛師春日の作といわれる釈迦三尊坐像・文珠菩薩・普賢菩薩の3尊像を安置し本尊としたため、 この御堂は釈迦堂と名づけられた。
同時に護国院は、附属寺として釈迦堂の管理をすることとなった(別当寺)。
釈迦堂は大層立派なもので、元禄年間に根本中堂が出来るまで、総本堂としての役割をはたした。
目黒不動瀧泉寺をも兼務していた名刹である。
現存する唐様の本堂は"釈迦堂"とも呼ばれ、享保七年(1722)再建のもので現存する寛永寺関係の諸堂で最古のものである。
大日如来像と持国天像 |
不動明王像 |
若大国天像 |
文殊菩薩像 |
毘沙門天像 |
中央奥の須弥壇に本尊・釈迦三尊坐像、本尊の左右には獅子と象それぞれに乗った文殊菩薩と普賢菩薩が祀られている。
左壇は千手観音、右壇は若大黒天が祀られている。
若大黒天は、谷中七福神の大黒天で藤原信実卿の作で、寛永十六年(1639)大阪城落城25年の大法要の折に三代将軍徳川家光公が奉納したものである。
さらに、千躰仏が1,350体安置されている。
山門を入り右には禅宗様式の手水屋があり、左側には楽堂がある。
谷中七福神参りの際に訪問したが纏め忘れてた。いろんな仏像が観られるのでもう一度是非訪れたいお寺だ。