事事関心! 仏閣探訪:
[ 東京都世田谷区/豪徳寺 ]
東京都世田谷区/豪徳寺          2015/12/04(金)新規
探訪案内 

 豪徳寺は、世田谷城主吉良政忠が、文明十二年(1480)に亡くなった伯母の菩提のために臨済宗弘徳院として創建したと伝わっている。 その後、高輪泉岳寺初世の門奄宗関が曹洞宗に改め、天正十二年(1584)中興開山した。 寛永十年(1633)には、世田谷領が彦根藩領となり、当寺が井伊家の江戸における菩提寺となったことから、寺号を藩主井伊直孝の法号昌院殿豪徳天英大居士より豪徳寺と改号した。

宗派: 曹洞宗
寺名: 大谿山 豪徳寺
住所: 世田谷区豪徳寺2-24-7
札所: 東京三十三観音霊場11番札所
アクセス: 小田急線「豪徳寺」駅下車、徒歩10分(約550m)
   東急世田谷線「宮坂」駅から徒歩5分

【履歴】
・2015/12/04(金): 12/02(水)散策。

参道 



 東急世田谷線「宮坂」駅前を横切る城山通に面して石門の先の両側に高い松並木が続く長い参道があり、その先突き当たりに山門がある。


山門 



 この山門は明治十七年(1884)年に建てられたが、関東大震災で倒壊、昭和初期に再建されたもの。 「壁雲関」と記された当時からの額が掲げられている。
 山門の脇には「都史跡 井伊直弼墓」と書かれた碑が建っている。豪徳寺は、彦根藩主・井伊家の菩提寺であった。

仏殿 【世田谷区指定有形文化財】



 仏殿は豪徳寺伽藍の中心的な建物で、延宝五年(1677)の建立。 仏殿を寄進した掃雲院が黄檗(おうばく)僧に帰依していた影響から、黄檗宗の建築様式が随所に見られる。 また板状の絵様肘木(えようひじき)は他の黄檗系寺院でもあまり例を見ない珍しいものとのこと。
 仏殿正面の高いところに「弐世仏」と見える大きな額が掛かる。なお、この額に書かれている最初の字は「弐」の二の部分が三になったもので、"サン"と読むのだそうだ。 それは、この仏殿には、釈迦如来、弥勒菩薩、阿弥陀如来の三体の仏像が納めてあることから、"三世佛"と名付けられたとのことからきている。

本堂 



 本堂は、関東大震災で焼失したため、鉄筋コンクリート造りで再建されたものとなっている。
 山門−仏殿−本堂が一列に配置されている。


招福殿 



 仏殿左手に建つ招福殿には招き猫が奉納されている。
 豪徳寺は、"招き猫発祥の地"という説がある。
 井伊直孝が、豪徳寺の前を通り掛かったところ、寺の前で猫が招くようにしている。 それにつられて直孝が寺の中に入ったことで、突然降り出した俄雨を避けることができた。 以来、直孝は豪徳寺を菩提寺としたのだそうだ。

鐘楼と三重塔 

鐘楼

三重塔

 山門を潜ると右手に鐘楼が建っている。そして、この鐘楼に架かる梵鐘は区指定有形文化財に指定されている。
 そして、山門左手には三重塔が建つ。この三重塔は平成十八年(2006)五月に完成した。


井伊直弼の墓 【東京都指定史跡】

井伊直弼の墓


 井伊直弼の墓もある井伊家墓所は仏殿前の参道を左へ向かい、突き当りにある。
 彦根藩主の井伊家は、初代・井伊直政(1561〜1602)から、直弼の子の直憲(1848〜1904)まで十六代(14人)続いているが、この墓所には二代直孝以下6人の墓と夫人や子といった一族の墓がある。 前記井伊直孝公以降、豪徳寺は彦根藩井伊家代々の菩提寺となってきた。 山門の左側には井伊家関係者の墓が並んでいるが、その一番奥に桜田門外の変で暗殺された大老井伊直弼の墓がある。
 井伊大老は、側近が「水戸藩士が狙っているから」と説得しても耳を貸さずに江戸城に登城する途中、難にあった。

あとがき 

 伺った際は丁度紅葉が見ごろだったこともあり、観光客が彼方此方に点在していた。招福殿の一隅にはお供えされた招き猫の置物が置かれたとこもあったようだが見落とし...。

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