事事関心! 仏閣探訪:
[ 東京都世田谷区/九品仏浄真寺 ]
東京都世田谷区/九品仏浄真寺       2016/11/20(日)新規
探訪案内

大イチョウ【都指定天然記念物】

 寛文五年(1665)に名主七左衛門が奥沢城跡地を寺地として貰い受けた。その後、浄真寺は延宝六年(1678)に越後国村上泰叟寺の珂碩上人を請い浄土宗所依の経典である感無量壽経の説相によって堂塔を配置して創建された。
 三佛堂が三宇あり、中央の堂に上品上生・上品中生・上品下生、北の堂に中品上生・中品中生・中品下生、南の堂に下品上生・下品中生・下品下生の計九品の佛像が納められ、九品仏として著名だ。

寺院: 九品山 唯在念仏院 浄眞寺
宗派: 浄土宗
住所: 世田谷区奥沢7-41-3
本尊: 阿弥陀如来
創建: 延宝六年(1678)
開山: 珂碩上人
開基:
参観: 無料
交通: 東急大井町線「九品寺」駅下車、徒歩3分。

【履歴】
・2016/11/20(日): 11/16(水)参拝。

山門 

総門

総門−扁額「般舟場」

東門

 東急電鉄大井町線「九品仏」駅で降り、線路を横切る駅前の道を左手に向かうと浄真寺の参道が100mほど真っ直ぐに伸びている。 総門はその参道の突当りに南に向い開いており、間口九尺余の大きな門となっている。

仁王門 【区指定有形文化財】

 仁王門は、旧奥沢城の土塁に囲まれた境内と外部とを仕切る位置に建てられている。 (奥沢城の名残は、この土塁だけしか残っていない。)


仁王門−正面

扁額「紫雲楼」(阿慶の書)

 仁王門は三間一戸の楼門で、入母屋造り、銅版葺の屋根を持ち、石垣堤みの基壇の上に建てられている。 全体的に和様を基にして、禅宗様の手法を取り入れた折衷様の建築様式。 上層外部には禅宗様高欄月の切目縁をめぐらして、これを和様腰組で支えている。


金剛力士像(吽)

金剛力士像(阿)

風神

雷神

 下層中央間を通路とし、前面部左右に金剛力士像を据え、背面左右に階段を設ける。上層は、中央に須弥壇を置き、阿弥陀如来像および二十五菩薩像を安置している。 第五世住職輪誉上人により寛政五年(1793)に上棟している。

本堂 

 仁王門を潜り真っ直ぐ進むと右手に本堂がある。丁字路となっている参道を右手に折れると本堂の正面に至る。 本堂は、11間四面の堂で西向きで建っている。


本堂

本堂

扁額「龍護傳」(阿慶の筆)

本尊釈迦如来坐像【東京都有形文化財】

 本堂には、上人が彫り上げた身の丈六寸の釈迦牟尼仏を中心に、右に善導大師、左に法然上人の像が安置されている。 中でも右側にある珂碩上人像は乾漆製の芸術価値の高いものと云う。 堂の隅には、ぴんずる尊者像がある。本堂は総欅造りで、昭和四十二年修築し、かや茸屋根を銅茸に替えた。


三仏堂(上品堂・中品堂・下品堂) 【区指定有形文化財】









 三仏堂には阿弥陀如来像が三体ずつ安置されている。合わせて九体ある事から、通称「九品仏(くほんぶつ)」と呼ばれている。本堂は西向きで現世の此岸を、三仏堂は東向きで浄土の彼岸を現している。 三仏堂は東に向かい、中央に「上品堂(じょうぼんどう)」、右手に「中品堂(ちゅうぼんどう)」、左手に「下品堂(げぼんどう)」が南北の軸線上に配置されている。
 棟札から第二世「珂億上人(かおくしょうにん)」により1698年に上棟し、大工は河内国(大阪府)の五平衛福吉によってなされたと分かっている。 この三仏堂の中に、一堂三躰づつ阿弥陀如来像が安置されるという全国的にも珍しい形状で、九品仏の名の由来はここが発祥となっている。

楼鐘 梵鐘【都指定有形文化財】


 仁王門(紫雲楼)を潜ると左斜め前には鐘楼が建っている。
 鐘楼に架かる鐘は、江戸時代の製作で総高156cmの銅製である。 1708年に世田谷領深沢の谷岡又左衛門(兎々呂城の城主であった南条家の子孫)が寄進したもので、鐘の製作者は神田鍛冶町の河合兵部である。 江戸時代寛文頃に倣朝鮮鐘の例に倣った種類であるが、関東では遺作がなく、また時代が下るほどに低俗化する傾向にあるが、そのなかにあってはこの鐘は形状雄大、作技精巧な優品であるという。 なお、新編武蔵国風土記稿では播州尾上道隆寺の鐘を模したと伝えられている。


閻魔堂 

閻魔堂

閻魔大王

葬頭河婆

 山門をくぐって左手に「衣領樹(えりょうじゅ)」と書いた木がある。「懸衣翁(けんえおう)」の札がある。 右手に閻魔大王の入った閻魔堂があり、大王の横に「葬頭河婆(そうずかば)=奪衣婆(だつえば)」が控えている。

あとがき

 参拝する人は少な目で、広い境内を多くの木々の下で木漏れ日を受けながら静かに散策できた。

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