吉祥寺は、太田道灌が江戸城築城の際、井戸を掘ったところ、「吉祥増上」の刻印が出てきたため、現在の和田倉門のあたりに「吉祥庵」を建てたのが始まりといわれる。
徳川家康時代に水道橋際(現在の都立工芸高校一帯)へ移り、明暦三年(1657)明暦の大火で焼失したことに伴い現在地に移転した。
関東における曹洞宗の宗門随一の栴檀林(せんだんりん)(学問所)が置かれ七堂伽藍を建立、多くの学僧が学んだ。
第二次大戦でその殆どが焼失したため、焼け残った山門と経蔵だけが往時を偲ばせる。
寺名: 諏訪山 吉祥寺
宗派: 曹洞宗
本尊: 釈迦如来
創建: 長禄二年(1458)
開山: 青巌周陽
開基: 太田持資(太田道灌)
中興: 遠山丹波守
住所: 文京区本駒込3-19-17
アクセス: 地下鉄南北線「本駒込」駅下車、2番出口から徒歩7分
【履歴】
・2014/11/14(金): 11/12(水)散策。
山門 |
扁額「旃檀林」 |
山門は江戸後期11代家斉のころ再建されたものと云われている。額には「旃檀林」と書かれている。
「旃檀林」は僧侶の学問所で幕府の学問所「昌平坂学問所(湯島聖堂)」と双璧をなし、常時1000人の学僧がいたという。
なお、ここ旃檀林は後に曹洞宗大学になり、大正時代に駒澤大学へと変わった。
扁額「旃檀林」は安永七年(1778)焼失したものを拓本によって享和二年(1802)に復元したものとされている。
本堂全景 |
扁額「諏訪山」 |
本堂には「諏訪山」の額が掲げられている。本尊は「釈迦如来」である。
諏訪山はここが諏訪神社の社領であったことによると云う。
正面全景 |
裏面全景 |
経蔵は今でいう図書館のことで、元々は「旃檀林」の書庫として、貞享三年(1686)に建てられた。
現在の「経蔵」は、文化元年(1804)の建造で、昭和八年(1933)に大修復が行われている。
寺堂は近代まで七堂伽藍を誇っていたが、この経堂が伽藍として唯一空襲を免れた。
客殿 |
鐘楼 |
客殿は本堂の右隣に位置している。
鐘楼は客殿の対面、経堂の近くに建っている。
吉祥寺茗荷稲荷 |
六地蔵 |
大仏 |
寺が明暦大火の際府内よりこの地に移ったが、家康公ゆかりの毘沙門堂脇の庚申塚に茗荷権現があった。
寛文年間疫病蔓延の折祈願する人が絶えず、特に痔病の根治に霊験があるとされ、茗荷を断って心願する者が多くいたと云う。
戦災により諸堂焼失したが、昭和二十八年に再建された。堂裏にある茗荷権現碑は下総国府台八十右ェ門なる者が文久年間建立したものと云う。
大仏(阿弥陀如来)は大正三年五月(1722)の製造である。なお、作者は不明。
二宮尊徳墓碑 |
二宮尊徳像 |
農業の専門家二宮尊徳の墓。薪を背負って本を読む像で有名な二宮尊徳は江戸後期の小田原藩の農政家である。
小田原藩家老服部家の家計立て直しを皮切りに、以降生涯を通じて六百余カ村の復興に当った。
尊徳の思想と行動は、のちに「報徳社運動」として全国に展開されることになった。
安政三年下野今市で病没し、今市市二宮神社にも墓がある。
墓の右前には、昔小学校の校庭にあった薪を背負った尊徳像が建っていた。
吉祥寺は武蔵野にある「吉祥寺」の地名のもととなった。
明暦の大火の際に吉祥寺門前の住人達が焼け出され、五日市街道沿いを開発・移住したことによるとのこと。
参道沿いには枝垂桜が植えられているので、春桜の季節に参拝するのが一番だろう。