事事関心! 仏閣探訪:
[ 東京都豊島区/金剛院 ]
東京都豊島区/金剛院           2017/03/12(日)新規
探訪案内 

 池袋駅から西武池袋線で一駅の「椎名」駅を降り、北口に出ると目の前の広場の向こうに金剛院がある。
 金剛院は、大永二年(1522)、真言宗の僧侶・聖弁和尚によって、武蔵国豊嶋郡長崎村に開創された。延宝年中または元禄年中の末期頃、寺は原因不明の火災に見舞われ、仏像や古文書を焼失。 正徳五年(1715)現在の位置へ移ったとされる。 移転先は、長崎村の鎮守社(十羅刹女社、現在の長崎神社)の東隣で、金剛院は十羅刹女社の別当寺となる。 移転後の金剛院は、当時の住職であった十五世・聖誉和尚の努力により、本堂や大師堂、山門や鐘楼堂などの堂宇や仏舎利塔が再建され、寺容は一新された。

寺院: 蓮華山 仏性寺 金剛院
宗派: 真言宗豊山派
住所: 東京都豊島区長崎1-9-2
本尊: 阿弥陀三尊(阿弥陀如来、観音菩薩、勢至菩薩)
開基: 聖弁和尚-大永二年(1522)
拝観: 無料
交通: 西武池袋線「椎名」駅下車、すぐ。

【履歴】
・2017/03/12(日): 03/08参拝。

山門(赤門) 【区指定有形文化財】



 天明年中(1781〜9)江戸の度重なる大火でここ長崎村にも避難者が押し寄せたが、金剛院では十九世・宥憲和尚が先頭に立ち人びとを寺へ収容し助けた。 この宥憲和尚の善行は、やがて時の将軍・徳川家治の耳に届き、特別の褒美として朱塗りの山門を建てる許しが下され、朱塗りの山門が安永九年に建立された。


本堂、客殿 【国指定登録文化財】

本堂

客殿

 山門をくぐるとまっすぐに石畳の参道が30mほど続いており、その正面に本堂が建っている。
 元禄年中(1688〜1704)の末期、金剛院は原因不明の火災に見舞われたそうだ。(延宝年中(1673〜81)以前という説もある) この火災で、多くの仏像や古文書類も焼失してしまった。 そのために金剛院は、正徳五年(1715)、現在のところに移ったと云う。
 新しい場所に移った金剛院は、その当時の住職であった十五世・聖誉和尚の努力によって、本堂や大師堂、山門や鐘楼堂などの堂が建立され、金剛院の寺容は一新した。

太子堂 



 太子堂には、真言宗の宗祖/弘法大師、中興の祖/興教大師、豊山派の派祖/専誉僧正の三尊が祭られている。


弘法大師修行像と漫画地蔵 

弘法大師修行像

漫画地蔵

 境内の中央を奔る石畳の参道を少し進むと左手に円形の輪を描く遊歩道の真ん中に弘法大師修行像が建ち、遊歩道の奥にひっそりと漫画地蔵が置かれていた。
 弘法大師修行像は、高野山を開き、京都の東寺を根本道場として、日本国中に真言宗をひろめていた修行中の弘法大師の姿を顕した像だ。 この像を囲むように、地名が記された石柱が4本立っており、これらの柱は弘法大師が修行の場とされた四国八十八か所の霊場を阿波:発心の道場、土佐:修業の道場、伊予:菩提の道場、讃岐:涅槃の道場の四国にわけて表したものと云う。 石柱の下には、それぞれの霊場の砂が納められている。 これらを「阿波」から順に時計回りに踏みながらお参りすることで、八十八か所のお参りと同じご利益を得られるそうだ。
 漫画地蔵はペン先を光背としたお地蔵さんの銅像だ。 椎名町にあったトキワ荘が由来で、かってのトキワ荘の方角を向いて立っている。 「なで仏」として親しまれており、創造や知恵を授かるために多くの人が撫でにくるそうだ。

長崎不動尊 



 不動明王は、病気平癒や安産、災害の除去など、私たちの苦しみを必死に救おうとしているところから、火焔を背負い、両牙を咬み、剣を持った恐ろしい表情をしている。 のちに不動明王は、いろいろな願いごとをかなえてくれる仏さまとして多くの信者を集め、江戸時代以降には、各地で多くの不動明王像が造立された。 金剛院にも同様で、昭和二十四年(1948)に門前に不動明王を祀る「長崎不動尊」が建立された。

あとがき

 駅のすぐ近くにあり、参拝のしやすさからか自分以外に二組ほど訪れている人がいた。

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