事事関心! 仏閣探訪:
[ 東京都北区/金剛寺 ]
東京都北区金剛寺            2017/06/11(日) 新規
探訪案内 

 JR京浜東北線「王子」駅から北口に出て、左手音無川沿いに遊歩道を進み、紅葉橋を渡るとすぐ右手に金剛寺がある。
 金剛寺は、弘法大師が遊歴した際に創建したと伝えられている。 治承年中(1177-81)には源頼朝が当地に布陣、辨財天への信仰深く堂舎を建立したとも記されている。
 当寺の弁財天は、岩屋弁天、松橋弁天とも呼ばれ、多くの信仰を集めた。 また、当寺が紅葉の名所であったことから、「紅葉寺」とも呼ばれていた。
 豊島八十八ヶ所霊場43番札所、荒川辺八十八ヶ所霊場16番札所、上野王子駒込辺三十三ヶ所観音霊場1番札所、北豊島三十三ヶ所霊場31番札所でもある。

寺院: 瀧河山 松橋院 金剛寺
宗派: 真言宗豊山派
住所: 東京都北区滝野川3-88-17
本尊: 不動明王像
開基:
拝観: 無料
交通: JR京浜東北線「王子」駅下車、音無川沿いに紅葉橋まで徒歩10分。

【履歴】
・2017/06/11(日): 06/09参拝。

山門 



 門前左手に建つ社名標に彫られた寺名は「紅葉寺」となっており、昔の俗名となっていた。


本堂 



 本堂は鉄筋コンクリート造りで最近建て替えられたようだ。内には不動明王像が祭られているそうだが観られていない。


弁天堂 



 昔、崖下の洞窟には、弘法大師の作と伝えられる石の弁財天が祀られていた。 地元の伝承では源頼朝は、弁財天に戦勝を祈願して金剛寺の寺域に弁天堂を建立したとか、違う記録には太刀を奉納したとも伝えられている。
 江戸時代の絵にも多く登場する弁天堂だったが、現在では崖がコンクリートで覆われ、由緒ある石の弁財天像も太刀も無いと言う。

風神・雷神像 

風神像

雷神像

 門をくぐるとすぐ左右に風神像と雷神像が立ち、寺域を護っている。
 宝永七年(1710)の作造とされる像で、三十三間堂の風神・雷神像に代表される他の像とは一味異なっている。


七福神像 

弁財天

毘沙門天

福禄寿

寿老人

布袋尊

大黒天

恵比須天

 本堂の右には向かって左から、恵比寿天、大黒天、福禄寿の石像が並ぶ。 その向い側には左より昆沙門天、布袋尊、寿老人の石像がある。いずれも、高さ50cm程の古い石像である。
 門前右側に「旧蹟 滝野川七福神」と書かれた石碑から、おそらく昔近辺の点在する寺院に奉られていた七福神の石像を集めたものだろう。

源頼朝の布陣伝承地(金剛寺境内地)

 治承四年八月(1180)、鎌倉幕府初代将軍の源頼朝は配流先の伊豆で挙兵し、石橋山の合戦で敗れて安房に逃れた。 その後、上総・下総を経て墨田川を渡り、滝野川・板橋から府中六所明神に向かい、ここから鎌倉に入って政権を樹立する。 この途次の10月、頼朝は軍勢を率いて滝野川の松橋に陣をとったと云われている。
 松橋とは、当時の金剛山の寺域を中心とする地名で、ここから見る石神井川の流域は、両岸の岩が切り立って松や楓があり、深山幽谷の趣をもっていた。 崖下の洞窟には、弘法大師の作と伝えられる石の弁財天が祀られていたが、頼朝は、弁財天の祈願して金剛寺の寺域の弁天堂を建立し、所領の田地を寄進したと伝えられている。
 金剛寺は紅葉寺とも称されるが、これは、この地域が弁天の滝や紅葉の名所として知られていたことに由来する。

あとがき

 地下鉄三田線「新板橋」駅から神社を巡り、もう少しでJR「王子」駅かなーと思ったところで目に入ったので参拝させていただいた。 すると、思いがけず歴史を感じる風神像・雷神像や七福神像に出会えて嬉しかった。


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