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[ 東京都台東区/輪王寺 ]
東京都台東区/輪王寺           2019/05/19(日)新規
探訪案内 

 輪王寺(両大師)は、上野公園内の北側にある東京国立博物館の東側にある。
 上野公園は、元は天台宗別格大本山寛永寺の境内地であり、公園中央の大噴水の位置に根本中堂、東京国立博物館の位置に本坊があった。 そして、輪王寺はもと寛永寺の伽藍の一部で、「開山堂」または「慈眼堂」と称されていた。正式に「輪王寺」といわれるようになったのは明治十六年(1883)以降である。

寺院: 東叡山 輪王寺 (別称: 開山堂・両大師)
宗派: 天台宗
本尊: 阿弥陀如来
創建: 明暦二年(1656)
住所: 台東区上野公園14-5
参観: 無料
交通: JR山手線「上野」駅公園口より徒歩約5分

【履歴】
・2019/05/19(日): 新規作成。

輪王寺のあらまし 

 輪王寺は、東京で唯一の門跡寺院である。 正保四年(1647)の九月に東叡山に赴いた後水尾天皇の第3皇子・一品守澄法親王は、承応三年(1654)に正式に東叡山主の座に就き、次いで翌明暦元年には天台座主とも成り、東叡、比叡、日光の三山を兼帯した。 世に言う「三山管領宮」の始めである。 更に、翌二年の十一月二十六日には、守澄法親王に対し「輪王寺宮」の称号が勅賜された。
 ただ、正確に言えば、江戸時代には輪王寺という寺は存在しない。 上野は「寛永寺」であり、日光は「満願寺」であって、その両山の山主が「輪王寺宮」である。 言い換えれば、「輪王寺」という名は、宮様個人の称号で、寺号ではなかったのである。
 しかし、戊辰戦争の結果、最後の輪王寺宮・十五世公現法親王が還俗されたため、輪王寺の称号は一時中絶の止むなきに至った。 やがて、これを惜しんだ東叡、日光両山からの要請により、明治十六年(1883)にこの両山に輪王寺という名の寺が再興され、二年後には門跡寺院としての再興を許されたのである。
 ただ、現在の輪王寺は、東叡山の開山・天海大僧正を祀る開山堂と同じ境内に在り、この開山堂には慈眼大師天海大僧正自身が尊崇していた慈恵大師良源大僧正(元三大師)も合せて祀られているため、一般には両大師として知られている。
 この両大師に対する信仰が如何に盛んであったかは「甲子夜話」をはじめとする江戸時代の地誌や絵画によって裏づけられ。。

山門 

山門


 山門の手前右手に「両大師」と書かれた立札が立っている。 これは江戸時代には両大師像が月々順番に子院を廻っていたので、両大師の像の所在を表すためにこの立札が門前に置かれていたことに由来している。
 山門には、向かって左に「東叡山 寛永寺 開山堂」、右に「厄除 両大師」の表札が掲げられている。
 山門は江戸中期の建造である。


開山堂(両大師堂) 

開山堂(両大師堂)

 開山堂は、東叡山寛永寺の開山である慈眼大師天海大僧正と、天海大僧正が尊崇していた慈恵大師良源大僧正を祀つる堂で、現在の堂は平成五年(1993)に再建されたもの。
 もともとの創建は正保元年(1644)で、前年に亡くなった天海大僧正を祀る「開山堂」だったが、後に寛永寺本坊内にあった慈恵堂から慈恵大師像を移し、慈恵・慈眼の二人の大師を祀ったことから一般に"両大師"と呼ばれ、庶民に信仰されている。
 開山堂前の参道左右にある銅燈籠はもと上野の大猷院(徳川家光)霊廟に奉納されたもの。
 本尊・阿弥陀如来は平安期の木彫立像、慈眼大師像(都重宝)は木彫極彩色の坐像、慈恵大師像(区有形文化財)は南北朝時代の由緒ある画像である。

阿弥陀堂 

阿弥陀堂

阿弥陀如来像

扁額「阿弥陀堂」

 山門を入りすぐの左手に阿弥陀堂が建つ。阿弥陀堂内部には、3体の像が祭られている。 右:南無虚空蔵菩薩、中:南無阿弥陀如来、左:南無地蔵大菩薩。

鐘楼 

鐘楼

 梵鐘は慶安四年(1651)長谷川家吉(舎吉)が鋳造し、大猷院殿廟前の鐘楼に懸けられていたと考えられる。 大猷院殿廟は享保五年(1720)三月二十七日の火災で類焼、再建されることはなく、本銅鐘も火災以後に慈眼堂に移され、当所の鐘として用いられたようだ。現在は、鐘楼から降ろされて阿弥陀堂内に安置されている。


旧本坊表門 【重要文化財】

旧本坊表門【重要文化財】

 寛永寺旧本坊表門は、切妻造り本瓦葺、潜門付きの薬医門である。通称「黒門」。現在の東京国立博物館の敷地はもと寛永寺本坊であり、その正面にあった門である。 明治十五年(1882)東京国立博物館の前身である博物館が上野公園に移転・開館した際にその正門として使用された。 そして、関東大震災の後の昭和七年(1932)、国立博物館の建設に当たり正面表門として使用していたものをこの場所に移築した。 昭和二十一年(1946)に国の重要文化財に指定された。


輪王殿 

輪王殿

 旧本坊表門を正門とする輪王殿は、多目的な会館として建築された。


幸田露伴旧宅の門 



 この門は明治の文豪幸田露伴(1867 - 1949)の旧宅の門で、谷中にあったものを移築したものである。 瓦葺の簡素な腕木門で、柱や梁、垂木など総て丸太造で、明治期のしもた屋(仕舞屋)の風情をよくとどめている。


あとがき

 隣接する国立博物館は多くの人が参集するが、ここは参拝する人も殆ど無く、静かに散策できる。


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