事事関心! 仏閣探訪:
[ 東京都世田谷区/西澄寺 ]
東京都世田谷区/西澄寺           2019/11/03(日)新規
探訪案内 

 西澄寺は、隆向和尚が紀伊国高野山釈迦院より下錫して天正2年(1574)に開山したものといわれ、大久保六右衛門忠勝が中興開基となったと云う。
 明治維新前後からは、無住の寺で荒廃していたが、明治二十五年近江の人慧荘和尚は高野山より当山へ第10世の住職として来たり荒廃した本堂、庫裡等の再建を念願し、薬師堂にて1000日の穀断ちの修業をした。 そして高野山で修得した灸術をもって近郷の人々の救済をしたところ霊灸の評判をとり、受灸者でにぎわった。

寺名: 日輪山 薬王院 西澄寺
宗派: 真言宗智山派
本尊: 大日如来像
創立: 天正二年(1574)
開山: 隆向和尚
拝観: 無料
住所: 東京都世田谷区下馬2-11-6
交通: 東急田園都市線三軒茶屋駅の東、徒歩15分。

【履歴】
・2019/11/03(日): 11/01参拝。

山門 

山門(武家屋敷門)【都指定有形文化財】

門扉

家紋[西澄寺]

 大正11年、本堂の改築の時、港区三田四国町にあった旧蜂須賀家の中屋敷表門を移築したと伝えられている。 番所に格子窓を設けるなど若干の変更があるが5〜10万右の大名の屋敷門の形式、構造、装飾等を備え、数少ない武家屋敷門の遺構として貴重である。
 切妻造で、桁行六間の、中央に二間の両開きの潜戸と板壁が設けられている。 門の両端には、切妻造で桁行二間、梁間三間の出番所が配されている。

本堂 

本堂

扁額「西澄密寺」

 本堂は大正十一年に建立された。中には本尊の大日如来像が祀られている。


薬師堂 



 本堂左側の高野槇の大木は開山の隆向和尚が高野山より移植したものといわれ、樹令数百年の古木である。 この槇の木に登った人は失明するとか、当山にあった古木を伐採した時この槇も切ろうとしたら、3名までも仏罰を蒙ったなどといわれ、この槇は薬師如来の化身だとされた。 当山に薬師堂を建立し薬師如来を安置し供養するようになったのもこのためだといわれる。

鐘楼 



 鐘楼堂は明治二十二年に建てられた。梵鐘は明治三十二年受灸者から奉納された鏡、かんざし等の金属をもとにして鋳造した。 第二次世界大戦で供出したが、終戦時に無傷のまま深河の焼跡より発見され当山に復帰した。


あとがき

 山門に使われている武家屋敷門に興味を引かれ参拝に訪れた。拝見すると「ほう!」と思わず感嘆してしまうほど立派な門構えだった。


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