東京メトロ三田線「御成門」駅A5出口に出て、西方向に約200m進み「西新橋三丁目」交差点で右折、更に約130m進むと左手にある。
青松寺は、江戸府内の曹洞宗の寺院を統括した江戸三箇寺(青松寺、泉岳寺、総泉寺)の1つで、太田道灌が雲岡舜徳を招聘して文明八年(1476)に創建した。
当初は武蔵国貝塚(現在の千代田区麹町周辺の古地名)にあったが、徳川家康による江戸城拡張に際して現在地に移転した。
しかしながら移転後も長く「貝塚の青松寺」と俗称されていた。
長州藩、土佐藩、津和野藩などが江戸で藩主や家臣が死去した際の菩提寺として利用していたと云う。
境内に「獅子窟学寮」を擁し、幾多の人材を輩出、明治八年(1875)には、獅子窟学寮内に曹洞宗大学林専門本校を開校し、翌年、港区高輪の泉岳寺学寮、文京区駒込の吉祥寺学寮「旃檀林」と統合し、今日の駒澤大学へと発展した。
寺名: 萬年山 青松寺
宗派: 曹洞宗
本尊: 釈迦牟尼仏
創建: 文明八年(1476)
開基: 雲岡舜徳
参観: 無料
住所: 港区愛宕2-4-7
交通: 東京メトロ三田線「御成門」駅徒歩5分。
【履歴】
・2016/05/11(水): 05/11(水)参拝。
山門(山内側から撮影) |
山門は、お寺への入口・結界である。 二階の回廊部分には、青松寺の山号である「萬年山」(ばんねんざん)という額が掛けられている。
増長天 |
広目天 |
多聞天 |
持国天 |
山門の左右には、それぞれ邪鬼を踏みつけている四天王像が安置されている。
四体の四天王像は仏教世界観の中の須弥山(しゅみせん)の頂上に住まう帝釈天に仕え、仏法を守護することを念願としている。
見ようによっては、邪鬼は私たちの迷いや煩悩を一身に受けて、四天王を支えているかのようだ。
この四天王像は彫刻家籔内佐斗司(東京芸術大学大学院教授)の2002年の作品である。
関東大震災前の山門(中雀門)前(愛宕下通り)には、美しい櫻川が溜池から流れており、この川に架かる石橋を渡り山門へ参っていた。 現在の中雀門は当時のこの山門と石橋を復興させたものである。
本堂 |
扁額「萬年山」 |
中雀門を潜ると正面に本堂が建っている。本堂には本尊「釈迦牟尼如来」が脇侍に文殊、普賢の両菩薩を従えて祀られている。 内陣の左右の柱には、大本山永平寺77世慈眼福海禅師(秦慧玉禅師)の筆になる聯が掛けられている。 そこには、「ここ萬年山はみ仏の道を今日にいたるまでまっすぐに行い、広く伝えてきたお寺。今もみ仏の願いをいきいきと輝かせ、なお実践に励みつとめて行く者が集まる道場である。」ということが書かれている。
仁王像 |
仁王像 |
大正十二年九月の関東大震災で境内堂宇全てが消失し、昭和四年に新たに建立された本堂は、大震災で火災を被った後ということもあり、当時はまだ珍しい鉄筋コンクリートで造られた。
観音聖堂 |
鐘楼 |
水龍の噴泉ー「桜川」の水源 |
観音聖堂は礼拝堂で、自己の内面と向かい合い、観音様の優しいまなざしに包まれて、穏やかなときをすごすことのできる空間である。
山門を潜り左手に向かうと木々に覆いかぶさられた鐘楼がある。この鐘楼に吊るされた梵鐘は昭和三十一年に鋳造されたものとのこと。
参拝する人も無く、静かに散策できた。中雀門を入り見える観音聖堂の建物の様はこれまで訪れた寺院で未体験のもので、なんとなく違和感が感じられた。